個人の問題ではなく、包摂的な論理が必要。
高齢者の悲観論
お年寄りが「昔は良かった」「今の社会や人は悪くなった」と感じることは珍しいことではありません。
この傾向は心理学的に説明可能な現象であり、衰退主義(Declinism)と呼ばれています。
衰退主義は個人の性格の問題ではなく、加齢・記憶・情報環境や社会構造などが重なって生じる必然的な心理現象です。
衰退主義は単純に言えば、「過去は良かったが、現在は悪化し、未来はさらに悪くなる」と感じる心理的傾向であり、単なるノスタルジーではなく複数の認知バイアスが合成された現象と言えます。
加齢によって悪い記憶よりも良い記憶が残りやすくなるため過去が現在よりも輝いて見える過去の美化。
社会変化の加速により「理解できないものは悪いもの」と誤認してしまうストレス性の誤認。
年齢とともに「失うもの」が増えたことによる損失回避バイアスでの悲観。
テレビや動画サイトなどを見る機会が増えることによるネガティブ情報の過剰摂取。
身体的・認知的な老化による変化を「社会の衰退」と外部化してしまう投影。
これらが組み合わさることで衰退主義(Declinism)は自然に形成されます。
若者の防衛本能
お年寄りの悲観論は、厳しい話ながら、若者からはあまり評判が宜しくありません。
これは"今"の問題ではなく”昔”から連綿と続いてきた対立項であり、古代から「今時の若者論」は若者に好まれない、そういった話です。
これもある程度は心理的な説明ができます。
悲観論は若者からすれば自分の世代・価値観・努力そのものが否定されているように感じるため、アイデンティティを防衛するために拒絶反応が生じます。
健全性の維持に関する方策
高齢者と若者、それぞれの言い分のどちらかが正しく片方が間違っているわけでもなく、衰退主義と反発はどちらも自然な心理的現象です。
とはいえ、高齢者の悲観論は社会に損失を与える危険があります。悲観論は若者から希望を奪い、社会参画意識を削り取り、社会全体の活力を損ねかねません。衰退主義は自然な心理現象ですが自然に任せておけばいいわけではなく、何かしらの対策は不可欠です。
しかし衰退主義は個人の努力で克服できるものではなく、加齢と社会構造が生み出す必然的な心理現象であることも認識する必要があります。それを抑圧することはまったくもって現実的ではありません。
よって必要なのは、高齢者の衰退主義(Declinism)を否定せず、社会に悪影響を与えないように”緩和”する社会的な工夫です。
方策はいくつかありますが、まずは根本的な情報環境の改善が有効です。
テレビやネットのニュースは明確にネガティブ情報へ偏重しています。
これは単純に、認知バイアスの一種であるネガティビティ・バイアス(negativity bias)の影響です。
生物は肯定的・中立的な情報よりも否定的な情報を優先的に集めようとします。そしてニュースは商売ですので、人が好む情報を発信します。結果として見聞きする情報は事件や危機、不祥事や不幸で溢れることになり、そういった情報ばかりを見ていれば誰だって悲観的になるものです。
この偏重は民間企業であるマスメディアの商売上仕方がありませんので、公共放送や自治体が母体となってポジティブ情報を発信することが対策として考えられます。
世代間の交流拡大も意味があります。
テレビやニュースではなく実際に別の世代と接触することは悲観を大きく緩和する効果が期待できるため、学校との交流プログラムや世代混合型のコミュニティ、経済活動に取り込まれた生活支援と交流などが現実的な方策です。
ちょっと率直な言い分になってしまいますが、「若者が頑張っている姿」を見るだけでも衰退主義は弱まりますし、若者側は高齢者の悲観主義を「攻撃」と受け取ってしまいがちなので、そうではなくただの心理的な問題なのだと身近に接して認知することで若者の反発も大きく和らぎます。
他にもシニア向けのパートや地域での役割など社会貢献活動に参加していただいて自己効力感を高めてもらったり、老いの苦労や昔話を語り合えるコミュニティに参加することで心理的安全性を確保することが効果的でしょう。
重要なのは心理の"否定"ではなく"緩和"です。衰退主義は加齢と社会構造が生み出す必然的な心理現象であり、社会構造によって対策する必要があります。
結言
高齢者の悲観を「真実」として扱うのではなく、しかし「間違っている」と否定して突き放すのでもなく、高齢者と若者が感じる感覚は別であることをただ「事実」として受容し、世代間対立を避けて社会全体の健全性を保つこと。
そのためには個人の努力ではなく社会構造による対策が必要です。
高齢化が進みつつある日本では、存外真剣に向き合わなければならない現象かと考えます。