私「今月から英語の研修が始まります、英語は苦手なんで少し精神的に負担です」
同僚「研修は上司の命令?」
私「いや、自分で手を挙げました」
同僚「偉いと思うよ、苦手なことでも自分から進んでやろうとしてるんだから」
ふむ。ふむ?
辛いことから逃げるか否か
誰だって辛くつまらなく生きるよりは楽しく日々を過ごしたいと願うものですし、そうなるよう行動していることと思います。
とはいえ辛さのまったくない道を歩める人はそういません。この世のありとあらゆることが得意な人はいませんので、必ず苦手なことや嫌なことに直面するのが人生です。
その際、得意なことや好きなことだけやって生きていくために苦手なことや嫌なことを避けることは必ずしも得策とは限りません。避けるための迂回に時間が掛かってしまい楽しいことまでの距離が遠ざかってしまったり、下手をすれば逃げ回ったせいで苦手なことに囲まれてにっちもさっちも行かない袋小路へ迷い込んでしまうこともあります。
もちろん回避せずに突き進んだ結果致命的なダメージを負うこともありますので、絶対に逃げてはいけないなどと妄信すべきでもありません。適切な回避と、時には回避せず直進する勇気、その判断が必要です。
楽しいことをやって生きていくコツ
さて、個人的な見解ではありますが、好きなことだけをやって生きていくことはとても難しいと思っています。
それはなにも能力や才能の話ではなく、ただただ単純に、好きなことでもいつかは飽きてしまうからです。好きなことを一生好きでい続けることにも恐らく才能が必要であり、大抵の人はどれだけ好きなことであってもいずれ飽きてしまい楽しめなくなります。
つまり、嫌なことを回避して好きなことだけをやっていくといざ好きなことが好きでなくなった時に何も残らず手元にあるのは嫌なことばかりになってしまって辛くなるのではないか、そう考えます。
このような事態を避けるためには、発想を転換する必要があります。
それは、苦手を遠ざけるのではなくあえて苦手に親しむこと、苦手を避けるのではなく苦手を克服する行為自体を楽しむことです。
苦手なことであってもやっていれば好きになるかもしれませんし、得意になるかもしれません。もしそうならなかったとしても苦手を楽しむことができれば、得手不得手や能力に関わらずこの世の全てが楽しいことや好きなことになる可能性が生まれます。
今自分が持っている好きなことだけでなく、好きなことを増やしていく発想。
これこそが好きなことだけをやって生きていく生き様に持続性を与えると私は考えます。
結言
私は英語が苦手ですが、それを避けようとは思いません。むしろあえて突っ込んでいきます。
もちろん英語を避けることは可能です。今は仕事で英語を使うために英語を学んでいますが、避けたいのであれば英語を使わない部署へ異動すればいいだけです。
ただ、それを避けては私が楽しいと思う別の仕事も同時に遠ざかってしまい、それはそれで面白くありません。
そうであればあえて苦手な英語へチャレンジし、そのチャレンジ自体を楽しむべきだと考えます。そうすれば楽しさを乗り越えた先に楽しさがある、楽しさばかりの日々へ簡単に変わるのですから。