忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

馬鹿ほど勉強しなければいけない

 私は馬鹿です。(嫌な自己紹介)

 馬鹿だからこそ毎日勉強しています。幸い好奇心には不足が無く、勉強は好きなので毎日楽しく生きています。

 私にとって理解できない言葉は、同じ馬鹿な人が言う

 「馬鹿だから勉強しても仕方がない」

というものです。正直何を言っているのか全然意味が分かりません。

馬鹿こそ勉強すべき 

 頭の良い人は勉強なんてしなくたっていいんです、もう頭が良いんですから。馬鹿は勉強しないと頭が良くなれないんだから勉強しないとダメじゃないですか。

 馬鹿ということは10を聞いて1しか理解できないということです。頭の良い人は1を聞いて10を知ることができます。馬鹿が頭の良い人と同じラインに立つためには100倍勉強しないといけないんです。だから馬鹿こそもっともっと勉強しなければいけないのです。すごく道理に則っていると思うのですが、なぜ馬鹿なのに勉強しない人がいるのか不思議でなりません。

 「馬鹿だから勉強したって頭の良い人には勝てないよ」

とか言う人もいますが、それはそうです。同じ時間勉強したとしたら頭の良い人は100倍先に進むことになります。

 しかしこれは勝ち負けではありません。人の能力には個体差がありますので何事でもトップを取れるのはごく一握りですが、別にトップを取る必要はないんです。ただ馬鹿だと損をすることが多いため、普通の頭の良さに成れればいいんです。その普通になるために馬鹿こそ勉強すべきなのです。

 例えばマラソン、世界で一番になるために頑張るアスリートもいれば健康のために毎日走る人もいます。健康のために毎日走る人は世界で一番になることはありませんが、「だから走っても仕方がない」とはならないでしょう?目的は健康を維持するという普通のことであり、つまりはより良く生きるための手段の一つです。

 頭の良さも同じです。別にノーベル賞なりフィールズ賞なりイグノーベル賞を取る必要はありません・・・イグノーベル賞はちょっと欲しいですけど。世界で一番になるのではなく、より良く生きるために普通の頭の良さが必要だからこそ勉強すべきなのです。毎日健康のために走ることと毎日頭の良さのために勉強することは同じということです。

馬鹿のほうが幸福? 

 西洋の格言にIgnorance is bliss.(無知は至福である)というものがありますが、それはただ知らないだけです。 良いモノ、素晴らしいモノを知らずに視野が狭いからこそ幸福を感じるわけです。いや、足るを知ることも必要ではあるので難しいところではありますが、そもそも馬鹿は足りてるかどうかも分からないのでやっぱり勉強が必要です。

 好奇心の赴くままに好きなことを調べて学ぶのは愉快なことであり、勉強とは実のところ楽しいものです。勉強といっても「学校でやっていたアレ」とは違います。机に向かって教科書を開き、ノートにひたすら書いて暗記することを若者は勉強と刷り込まれていますが、あれはただの系統学習の一環です。勉強はもっと幅広いものであり、本を乱読したり、旅行に行って見知らぬものを見聞きしたり、知らないことを調べたり、新しいことに挑戦したり、これらすべてが勉強です。「学校でやっていたアレ」なんてのはむしろ勉強嫌いを量産するための効率的な方法というべきで、別に「アレ」に縛られる必要などないんです。好き勝手気ままに好奇心に従って新しいことを学び、挑戦し、失敗する。これこそが勉強の醍醐味です。

 むしろ馬鹿のほうが勉強を楽しめるのではないかと思うくらいです。だって世の中は知らないことに溢れていて、学びの楽しみは無限に残っているのですから。