忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

この駄ブログでほとんど読まれていない記事を供養してみる

 この駄ブログを始めてしばらくしてから導入したグーグルアナリティクスさんをちょっと真面目に見てみました。今まではその日のアクセス数くらいしか見ていなかったのですが、なんか色々と分析する機能があるのですね。そもそも専門用語がさっぱり分からないので使いこなすには時間が掛かりそうです。分析するほどアクセス無いやんけーと内心ツッコミつつ・・・

 各記事のPV数を見てみましたがなかなかに差があって面白いです。PV数が多い記事は読んでもらえているということなので大変嬉しいです。反面、そこそこちゃんと書けたような気がする自己満足記事のPV数が少ないのはちょっと寂しいです。アナリティクス導入前の記事などはPV数が記録されていないですし、ブログを始めたばかりの頃の記事が誰にも読まれていないのは仕方がないですが、せっかく書いた記事が死蔵されているのはどうにもモッタイナイ気がしてしまいます。

 そんなわけで、供養として読まれていない記事の紹介をしてみたいと思います。誰も読んでいないということは需要が無いと言うことでつまりは紹介しても意味が無いのですが、いいんです。自己満足記事を紹介するという自己満足なのですから。何がいいのか分からなくなってきました。

PV数10以下の記事を紹介

 多様性を良しとする私の考え方を、哲学者ローティの言葉を援用してモラルと党派性の観点から語った記事です。私が常に言い続けたいことは「みんなちがって、みんないい」というだけのことなのですが、それを言いたいがために様々な表現を用いていくつも記事を書いています。これはその内の一つです。つまり「みんなちがって、みんないい」とだけ言えばよくて、長々といくつも記事を書くような話ではないんですよね・・・

 将来的に想定できるリスクを除去するために用いられるのが予防原則です。つまりは先に取り除いておきましょうというものですが、昨今は予防原則が少し過剰過ぎると思っているため書いた記事です。特にリスクを除去することによるリスクがもう少し語られて然るべきだと考えています。明らかに選択の余地もないほど明らかだったとしても、意思決定を行う際に一度は選択肢の双方を天秤に乗せるべきです。傾きを見て反対側を排除することと、反対側を見て見ぬふりするのは意味が異なるのですから。

 世の中は理不尽だよねという話の記事です。タイトルでオチていますので読むほどの話ではないかもしれません。私の宗教観は仏教5割、神道3割、キリスト教2割くらいで育ってきたため、ベースの考え方は仏教的です。仏教的に言えば世の中は理不尽であって、世の中に苦があるのは当然であり、それをどう取り扱うかが課題とされます。空を知り涅槃に至るのが多くの宗派の考えですが、個人的にはプラグマティストらしく中観を重視します。何事も極端は良くないです。苦は絶対ダメ!楽がとにかく大事!という考えだと生きるのがしんどくなってしまいます。つまり物事は相対的なものであり、苦楽についても中道でありたいということです。

 社会人経験のある方であれば恐らく全員学んでいるであろう目標設定や問題解決におけるギャップ分析への疑問です。あるべき姿というのはつまり願望であり、実現可能かどうかは分からないものです。世の社会人は「願望を定めて、それを必達せよ」と強制されているわけです。よくよく考えなくても無茶振りです。中間管理職がメンタルをやられてしまうのはこういう無理難題を押し付けるビジネスモデルとスキームにあると思うわけです。インパール作戦をやっているわけではないのですから、願望に従って行動するのではなくもっと現実的で地に足が付いた計画を軸に活動できるようなビジネスモデルが一般的になることを夢見るばかりです。

(補足)インパール作戦は、第二次世界大戦における「日本軍が行った」「連合国最高の作戦」です。あまりにも悲惨なため詳細は語り難いですが、失敗学の見地からすると学ぶべきところが無数にある事例と言えます。

最後に

 多くの記事を見直してみましたが、あれですね、驚くほど統一性が無いです。語りたいことを語っているだけで日々の繋がりが一切ありません。こう、なんというかもう少し読者の方に優しい方向性のほうがいいのではないかと思うくらいです。「お、この記事悪くないな、読者登録してやるか」というありがたい方に対して次の日は脈絡のない全く別ジャンルの記事を提供しているのですから、読む側も困惑することでしょう。

 とはいえ書きたいことを書きたい気持ちが強いため、まだしばらくはごった煮スタイルで続けてみたいと思います。いつか記事にすることが何も思い付かなくなったらもう少し記事内容を特化するかもしれません。まあ少なくとも半年以上先ですかね・・・