忘れん坊の外部記憶域

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やりたいことを”やりたいように”やるのは難しい

 私のように趣味で文章を書いているような人にとって、書きたいことを書くというのは当たり前のことだと思います。ですが、書きたいことを"書きたいように"書くというのは少し難しいことです。やりたいようにやっていいというのは型にとらわれない自由を感じる言葉ですが、案外そうでもなかったりします。

思った通りにやれるかどうか

 「書きたいこと」というのは欲求です。誰かにこんなことを伝えたい、気持ちを説明したい、文章に書いて考えを整理したいなど、内から溢れてきた願望を文字に起こすことが書くことであり「書きたいこと」です。行動それ自体が目的であり、これを叶えるのは簡単です。ただ書けばいいだけです。

 対して「書きたいように」は書きたいことと同じように欲求ではありますが、よく考えると二つの意味があります。形式に囚われず自由に書いていいですよという夏休みの自由研究のような自由度があること、そしてどの様に書きたいかという自らの欲求の二つです。後者には技量が伴うため、実力次第では欲求を満足させるのが難しくあります。

 絵で例えたほうが分かりやすいかもしれません。真っ白なキャンパスを与えられて、描きたいことを描きたいように描いていいですよと言われたとしましょう。黒猫を描きたい、フェルメールのような画風で描きたい、と思って描けるでしょうか。描きたいことである黒猫は書けると思いますが、恐らく多くの人がフェルメールのような絵を描くことは難しいでしょう。

 「描きたいこと」と「描きたいように」は欲求という区分では同じですが、後者のやりたいようにやるということには技量が必要です。情緒的で感情を揺さぶられる美しい文章を私が書きたいと思ってもなかなかそうはいかないわけです。圧倒的に技量が不足しています。

思った通りにやれると楽しい

 何事においてもそうですが、やりたいことをやるのは簡単です。しかしやりたいようにやるためには実力が伴う必要があります。どれだけ設計をやりたくても力学知識が無ければ思ったような設計をすることはできませんし、世界的に有名なボーカルになりたくても歌唱力が伴わなければメジャーデビューは難しいでしょう。やりたいことを”やりたいように”やるのは難しいのです。

 しかし面白いことに、人は「やりたいこと」をやっているときよりも、「やりたいように」やっているほうが楽しさを感じるようにできています。

 これはゲームで例えると分かりやすいでしょう。初めはゲームのルールがよく分からず思ったようにプレイできなかったり、人と勝負しても全然勝てなかったりします。この段階ではいくらゲームをやりたいと思って始めたとしてもなかなか楽しいとは思えないでしょう。しかしゲームのルールを覚えて慣れてくると徐々に楽しくなり、人に勝てるようになればさらに面白さを感じます。自分の思うままにゲームをコントロールできるようになれば最高の気持ちです。これは「やりたいこと」をやるよりも「やりたいように」やっているほうが圧倒的に面白いからです。

 他にも新社会人が仕事を楽しく感じない場合が多いのはまさにこの感覚です。やりたいことをやれる会社に入ってやりたい仕事をしていたとしても、新人が任される仕事の多くは責任の無い雑用のような仕事ばかり、与えられた仕事ばかりをしている状況ではやりたいように仕事をすることはできません。そんな状態を楽しく感じられないのは仕方がないことなのです。仕事が楽しくなるのはやれることが増えてきて、実績と権限が増してやりたいようにやれるようになってからです。そこまでがちょっと遠いのでしんどいですが、若者にはぜひとも仕事が楽しいと思えるような感覚を味わってみてもらいたいものです。まあ、仕事が楽しいなんていうと変人扱いされるかもしれませんが、やれるようになると案外楽しいものですよ。

 誰もがやりたいことを”やりたいように”やって楽しく生きていける世の中が、理想ではありますが望ましいですね。

余談

 ブログもなんだかんだ同じな気がします。最初は文章を書くのに慣れていないためになかなか思ったような記事が書けず、楽しみを見出すのはなかなか難しいかもしれません。ブログの継続率が低い理由の一因でしょう。これが思ったような文章を書けるようになり、やりたいように運営ができるようになると絶対に楽しくなると思います。そこを目指して私も頑張っていきます。

 まずは文章力をどう鍛えるか・・・継続するしかないですね。もちろん前動続行にならないよう色々と変えて試しながら。ビジネスパーソンらしくPDCAを活用していきます。

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