忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

中道は積極的には好まれない

 政治や経済の分野では保守/革新、右派/左派、全体/個人といった2項での分類を用いることが一般的です。そういった2項での分類を示すツール、政治的スペクトルを点数化して二次元座標に表したものをポリティカルコンパスと言います。

 

私の立ち位置

 ポリティカルコンパスは様々なwebサイトで公開されていますが、はっきり言ってしまえばただの目安です。何せ「ある設問に対してその回答を何点と評価するか」「その回答が2項の分類のどれに該当するか」「設問の文言はどう表現するか」は出題側の思想に強く依存するものであり、ポリティカルコンパス自体がそもそも政治的バイアスを受けているものだからです。

 よってポリティカルコンパスの結果が実態に沿っているかと言えばそれは疑ってかかったほうが良いでしょう。そのためかポリティカルコンパスは一時期ネット上で流行っていましたが、最近はあまり聞かなくなりました。

 とはいえ複数のwebサイトでテストをすれば自身の政治的スペクトルに対してある程度の傾向を見ることはできます。今回は私がいくつかのwebサイトでテストをした結果、テスト結果の見栄えと色合いが一番良かった以下のサイトで行った結果を示します。

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 実に中道、ほぼど真ん中であり、何の面白みも無いつまらない結果です。どこのwebサイトでやっても私の傾向は概ねほぼ中央に位置しますので、良く言えば偏りが無い、悪く言えば強い主張が無い政治的スペクトルを私は持っているということです。

 

中道は積極的支持を得にくい

 そんな中道的立場について少し述べてみたいと思います。

 当記事を書いている今はちょうど2022年フランス大統領選挙が行われています。今回は2017年フランス大統領選挙の決選投票と同様に、エマニュエル・マクロン(共和国前進・中道)とマリーヌ・ル・ペン(国民連合・極右)の2名による決選投票です。

 前回はマクロンの圧勝でしたが今回の世論調査では票数がかなり拮抗しており、どちらが勝つかはまだ分からない状況です。4月24日まで虚実入り乱れた選挙戦が繰り広げられることでしょう。

 フランス大統領選挙の結果がどうなるかはさておき、ここで述べたいのはマクロンの支持層です。マクロンの所属する共和国前進は中道に位置する政党です。元々フランスは右派左派で主張がはっきり分かれた政党が争っている傾向が強かったところ、その真ん中に飛び込んできた共和国前進が2017年に新党ながら双方からの票を得て大勝したという経緯を持っています。

 国内の分断を調和するための中立的中道という表現は綺麗ではあります。しかしそれは積極的思想が無いとも言えます。また中道は適切な状況であれば右派とも左派とも手を組むことが出来ますが、逆に言えば両派と敵対し得るとも言えます。

 強い主張は無く両派と敵対し得る立ち位置である以上、中道の政治思想が積極的支持を得ることは難しいものです。中道が支持される背景は他派からの消去法的な支持と政治的混乱による分断の解消というような状況からの支援しかありません。2017年のマクロン大勝の要因は「ルペンを大統領にしたくない」という左派と穏健右派の支持が集中した結果であり、「マクロンを積極的に支持する」というポジティブなものではありませんでした。

 2022年の選挙戦でも同様の傾向を示しています。決選投票に進まなかった立候補者は「マクロンに投票しろ」という声よりも「ルペンに投票するな」という声が大きいものです。世論調査で票数が拮抗している理由はルペンの支持増加というよりもこの5年間で証明されたマクロンの政治的手腕に対する不支持の増加と見たほうが良いでしょう。

 

フランス大統領選挙と右派左派はちょっと別の話

 ちょうどタイミングが合っていたというだけで政治的中道という視点で2022年フランス大統領選挙を話題としましたが、実のところ今回のフランス大統領選挙はそこまで中道で理由が付くとは思っていません。メディアは「極右のルペン」と右派左派的なイデオロギー闘争の枠組みで煽っていますが、今回はどちらかというと親EUか脱EUかが論点でしょう。第1回投票で左派のメランションが得票率3位を取っていることからも分かるように、右派の支持が伸びて左派の支持が下がったというわけではないのですから。

 

中道は調整弁として不可欠

 中道的政治スペクトルを持っている立場から少し中道に対して厳しめの表現を用いて説明してきましたが、とはいえ中道は必要な立ち位置です。2項で分類される両派閥の仲を取り持ち、社会集団が分断されて引き千切れないようにする紐帯の役割を担っています。決して積極的な支持を得られるものではなくどっちつかずのコウモリ扱いをされるのはやむを得ないものですが、集団に一定数は必要な思想です。