忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

ブログを始めて1年が経ったので雑感(継続は力なり、善意の要求)

 本日、この記事の投稿で365記事目になります。ブログを始めてちょうど1年が経ちました。

 半人前のアマチュアが綴る拙い言葉の羅列ではございますが、読んでいただける方々のおかげで日々楽しくブログを続けることができております。今後も研鑽を怠らず、より良い文章をお届けできるよう尽力いたしますので目をかけていただけますと幸甚です。

 また自身が考えることを思うまま述べていきますゆえ不適切な物言いや誤った見識などを提供してしまう可能性がございます。お気付きの際はひとつ窘めてくださいますようお願い申し上げます。

 

継続に関して

 久しぶりの節目です。そりゃまあ毎日が節目だったらそれはもはや節目じゃないので当然ですね。節目とはいつだって久しぶりなものです。

 当初は節目の時だけ砕けた文章を書くという縛りで始めたものの、気付けばふざけた文章を投稿する頻度が高くなり、今ではほぼ毎週のようにボケた文章を書いています。逆に節目の時はかしこまった書き出しから始まることが多くなりました。1年という時間は人を変えるものです。

 昨年の今頃、始めた当初の記事を読み返してみると、最初の1か月くらいは延々と真面目風な記事を投稿していました。怖い。何だこの真面目星人。もっと肩の力を抜いて気楽にやればいいのに。

 

 モットーというほどではありませんが、日々の研鑽や努力は楽しくあるべきだという考えです。努力や仕事は苦しくなければならないというのはあまり好みません。

 もちろん必要な苦しさや避けるべきでない辛さというものはあります。逃げるべき局面と逃げるべきでない局面は見定めなければなりません。しかし常に苦しさと直面する必要はないでしょう。苦しさから楽に逃げるのではなく、苦しいことも楽にしてしまえばいいのです。なんとも仏教的ですね。

 苦しい努力や仕事を楽しいものに変えることが私の基本方針です。面倒なことがあれば面倒で無くなるよう変え、しんどい作業があればその作業がいらないように変革し、手間な仕事があれば自動化して楽をし、辛い努力はまず辛くなくなるよう努力します。それは物理的に変えることもあればマインドセットを変える場合もあります。なんにせよ辛くなければ続けやすく、そして継続は力なりという考えで今後も生きていきたいと思います。だって辛いことを辛いまま続けるのは辛いじゃないですか。

 例えばめちゃくちゃ辛いカレーがあったとして、それを食べなければ生きていけない状況であれば逃げるべきでは無いでしょう。しかしそのまま食べ続けるのも辛い。じゃあヨーグルトや牛乳を飲むといった工夫をしようじゃないか、ということです。

「つらい」と「からい」が混ざると文章が読み辛くなりますね。辛い。

 

分かりやすさに関する所感

 当ブログは出来る限り分かりやすさを追求していきたいと考えています。当初より説明力の向上が今なお最優先の目標です。

 それなら図なりグラフなり漫画なりを入れればいいのにと言われればぐうの音も出ないのですが、そういったグラフィックセンスは皆無なため文章でゴリ押させていただきますので悪しからず。

 福沢翁が「猿に見せるつもりで書け」と言ったように、(偉人とはいえなんとも口の悪いおっさんだなとは思いますが)、分かりやすさというのはとても重要です。どんな意見や要求も相手に伝わらなければ意味がありません。だからこそ伝える側は相手に伝わるよう手を変え品を変え工夫する必要があります。

 

 ただ、この分かりやすさに関する一部の声にちょっとモノ申したい気分でもあります。個人的な体験の話ではなく、ここ最近他所のはてなブックマークのコメントを覗くようになったことが理由です。特に長文の記事についているコメントで多く見かけます。

 その声とは「これは分かりにくいから駄目だ」「もっと分かりやすくしろ」と要求するようなもの、そして伝え方が悪いことを嘲ったり罵ったりするようなものです。

 確かに分かりやすいことは正義です、しかし分かりにくいことは悪ではないでしょう?分かりやすさはサービスの一種だと思うのですよ。

 サービス業において、提供側が出来る限り顧客に寄り添ってサービスを向上させようとするのは顧客にとって良いことであり、提供側にとっても競合との差別化になるので有益なことです。よって適度なサービスは双方良しの結果を生みます。

 しかし顧客側からサービスを強要するのは別の話じゃないですか。善意を寄越せと求めるのはただのモンスター顧客でしかありません。

 この場合の善意とは支払った対価以上のものと言う意味です。高級なホテルやレストランでは良質なサービス自体が支払いに含まれているため、提供側も適切なサービスを実行する必要があります。しかし一般的なサービス業から受け取っているサービスは双方の利得を考慮して提供側が行っている善意以外の何物でもありません。スマイルを0円で提供するのはまさしく善意なのです。対価以上の善意を無償でもらっていることを忘れて、あまつさえ善意を寄越せと要求するのは図々しいと思う次第です。

 

 分かりやすさに関しても同様です。分かりやすく伝えようとするのは発信側の善意です。発信側が分かりやすく伝えようと努力することは良いことですが、しかしその善意が無いからといって文句を言うのはお門違いというものです。世の人々の無償の善意に慣れ切ってしまいそれが無い時に文句を言う人が居るのは、なんだかなぁと思ってしまいます。

 たとえ誰かの発信が分かり難かったとしてもそれを批難はせず自らを省み、分かりやすい発信をしている人には感謝をする。そうありたいものです。

 

路線を間違えた

 節目だというのになんだか堅苦しいことを書いてしまった気がします。書き出しを堅苦しくしたせいで引き摺られてしまいました。

 今後もこんな感じにやりたい放題気分次第で様々な言葉を書いていきたいと思いますので、お目こぼしいただけますと幸いです。