忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

書類の電子化は労働負荷を高める

 

 旧弊をただ無くせばいいわけではなく、新しい仕組みによって生じる弊害にも対策を。

 

電子化の潮流とメリット

 紙とハンコは現代のビジネスにおける典型的な悪役です。時代遅れであり、廃止すべき旧弊だと広く認識されていることでしょう。

 私自身、非合理的な紙とハンコよりも電子化を推進した方がいいと思っていますし、実際に推進派として社内で動いています。

 

 紙とハンコを無くして電子化をすることには多数のメリットがあります。

 テレワークには必須であるだけでなく、紙やインクの削減や空地化によるコスト効果、検索性の向上や情報共有による業務効率改善、劣化・紛失リスクの低減や閲覧制限の容易さによるセキュリティの向上などです。

 よって様々な業界で紙とハンコの廃止が進められており、時短・空地化・コスト削減を大好物とする製造業でも同様の動きが主流になっています。

 

効率化に伴う負荷の分散と労務管理

 ビジネス関連の情報で生産性の向上を見かけない日はないように、業務効率を改善することは市場競争に勝つために不可欠であり、少なくとも営利団体にとって効率化は正義です。

 しかし、そういった組織のロジックとしての正義である効率化は必ずしも構成員個人の幸福やリスク低減に繋がるとは限りません。

 

 単純な理屈として、業務効率が上がることは業務に掛けられる時間の短縮と同義です。

 これが肉体労働であれば物理的な負担軽減に直結するため労働者にとって望ましい変化です。10時間掛かる運搬作業が機械化等によって1時間で済むようになれば文句なく楽になったと言えるでしょう。

 しかしこれが頭脳労働の場合、より短時間で意思決定を行わなければならないため負担は低減するどころかむしろ増加します。10日で寄稿文を書く業務が1日に短縮されたのであれば生成AIなどでどれだけ物理的な負担が少なくなったとしても考える時間が足りず著しい負担を感じることでしょう。

 

 電子化も同様です。

 肉体的な負担や物理的なフローは改善されて業務効率の改善となりますが、業務に支払うべき思考時間までもが短縮されてしまいます

 思考時間の不足は単純ミスの増加だけでなくチェックの漏れや見落としを引き起こす要因となります。さらには不正のトライアングルで言うところの「正当化」、すなわち「時間が無いから仕方がない」とした労働者の手抜きを引き起こし直接的に不正行為の誘因とすらなりかねません。

 昨今の企業不正では明らかに「思慮が浅い」ことに起因するものが散見されますが、それは個人の能力の低下というよりは思考時間の不足が引き起こしている、そんな可能性すらあるでしょう。頭脳労働にとって考える時間が短くなることは相当な悪影響をもたらすものです。

 そういった弊害を避けるためには、人員を増やすなり多少フローが悪化しても思考時間を確保することが必要だと私は考えます。

 

その日のうちに処理することの問題

 個人的な経験を語りますが、海外出張中に電子化の弊害を強く感じます。

 以前であれば海外出張中は書類業務に煩わされることはありませんでした。もちろん帰国後に自席へ戻れば積み上げられた書類の山に辟易したものではありますが、出張中は出張先での仕事に注力できたものです。

 現在はそうもいきません。海外にいようがネットワークに接続できるのであればいつでも書類にアクセスできるため、帰国を待たずその日のうちに処理することを求められます。

 よって仕事が終わりホテルへ帰着した後に深夜まで書類仕事をすることが常態化しています。指揮命令下ではないため労働時間には該当せず労働基準法からすればグレーゾーンですが、まあ率直に言ってサービス残業でしょう。

 それこそ海外出張へ行くことが決まると「あまり羽目を外し過ぎるなよ」みたいなことを目上の方に言われることがありますが、こちとら仕事が終わってホテルに帰着した後はずっとメールと書類の処理・作成で仕事をしているわけで、羽目を外すどころか国内に居る時よりもよほど過重労働に励んでいます。

 

 さらには出張先での夜間に仕事ができる時間なんてそこまで長く取れるわけもなく、どうしても確認作業や熟考が不足することから、紙とハンコの時代に比べれば仕事の質はむしろ落ちています。

 たしかに電子化は組織としての業務効率が高まり短い時間で仕事が進みますが、しかしそれに対して人手を増やすなり何らかの対策を打たねば短時間で低品質の仕事が出力されるばかりとなるでしょう。

 

結言

 このブログでは常々述べているように、「問題がある事柄を全て捨て去って新しいものを導入すれば万事事も無し」なんてことはあり得ず、それをやると問題がある事柄が含有していた良い部分も同時に捨ててしまったり、新しいものによる新たな問題を抱えることになりかねません。

 もちろん古い問題は解決されなければなりませんが、そのためにはドラスティックな変革を避けてもっと丁寧に、旧弊の良い部分だけを抽出して残し、新しいやり方の課題を解決しながら適宜補正して最適な状態を追求していく必要があります。

 電子化も同様、電子化をしない選択肢はありません。しかし電子化によるデメリットがあることも理解して、その解消を図りつつ電子化を進めていくことが良いと思います。