忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

事故肯定

 

 また交通事故が起きた。AIが操縦する自動運転車が交差点で歩行者を巻き込んだ。

 事故が起きた場合のプログラムは当然ながら完備されているため、即座に中央交通管制AIが現場の交通状況を掌握して事故処理を速やかにこなす。

 

 技術革新によって死傷者が発生する比率はかつてに比べれば激減した。

 しかし確率論的に交通事故は避けられない。

 カオス理論なりバタフライ効果なり色々と理論化されてはいるが、要するに神ではない人類はどれだけ技術が進歩しようと完全な未来予知ができないことを知っている。

 よって予測し切れない事故は起きることが前提であり、そのための事故処理プログラムが存在している。

 事故をゼロにすることだけは、どうやっても不可能だ。

 

「この度の事故につきまして、深くお詫び申し上げます、私どもの責任です」

 都心部の巨大スクリーンや通勤電車のモニターでは中央交通管制AIが生成した責任者と担当者の映像が流れている。責任者は壮年の男性が想起される見た目と声色で、担当者はそれよりも若い風貌だ。目元に涙を浮かべて沈痛な面持ちで頭を下げている、ように動画が自動生成されている。

 人々はその映像を見て、静かに頷いた。

「誠実な謝罪会見じゃないか」「責任者は更迭、担当者はクビらしい」「それは当然だな」

 事故の原因は経年劣化した路面センサの誤信号だが、それは重要ではない。中央交通管制AIがその事故原因に対して適切な対策を取ることは誰もが分かっているし、どれだけ対策をしようと確率的に事故が起きることも周知されている以上、重要なのは「ちゃんと謝罪が行われたか」だけだった。

 

 翌日、AIのアップデートと同時に責任者AIが退任して新たな責任者AIが就任したことが報じられた。プロトコルに従い、新たな責任者AIが被害者へお詫びの言葉を述べる動画が自動生成される。

「適切な対応じゃないか」「人間に比べればちゃんと謝罪をしていて立派だ」

 

 その翌日、今度は高速道路で事故が起きた。予期せぬ風によって舞ったホオノキの葉が自動運転車のタイヤへ潜り込み、AIの判断と車の状態が僅かにズレたことが原因だった。

 再び、速やかに中央交通管制AIが謝罪動画を生成する。

「この度の事故につきまして、深くお詫び申し上げます、私どもの責任です」

 涙を流して頭を下げる責任者AIの容貌は昨日のものとは若干異なっており、より憐憫を催す声色へと変わっていた。

「謝罪の質が進化しているな」「誠意を感じる」

 

 事故が起きることは仕方がない。

 事故の発生率はちゃんと低下し続けている。

 被害者の数は年々減っており、交通状況は改善の一途を辿っている。

 だからこそ、人々はAIの人間らしい謝罪アルゴリズムの発展にだけ関心を持っている。より誠意を感じる謝罪こそが人々の求めているものであり、AIが生成する映像であっても気にならない。

 

「人間の時代だって事故は起きていたじゃないか、責任者が頭を下げて更迭されて、何らかの問題解決が行われる。今だって同じさ。まあ、AIのほうが泣き方は上手い」