忘れん坊の外部記憶域

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若者の理想と長老の知恵~問題を解決するためのアプローチ

 メディアやネットでは「〇〇〇が問題だ、だから無くさなければならない」という言論をよく見かけます。もちろんその思考自体はとても普通の事です。誰だって問題をそのまま放置したいわけはなく、その解消を求めるのは当然でしょう。

 しかし、問題を見つけることも重要ではありますが、問題をどう解決するか、解消のためのアプローチをどのように取るかを考えることも同様に重要です。問題があることは確かに問題なのですが、目的が常に手段を正当化するわけではなく、問題を解消するためには適切なアプローチを取る必要があります。

 

分かりやすいアプローチ:若者の理想

 誰かがメディアやネットで問題提起をする際に多く見かけるアプローチは、「これが問題だ」「だから止めるべきだ」「それをやっている奴らも問題だ」というような論理展開で行われることが多くあります。

 これはとても分かりやすいアプローチです。なにせ問題がここに明確に存在しているのだからそれを排除すればいいのだ、という理屈自体には特に瑕疵がありません。

 しかし、このような「これが問題だ、だからぶっ壊せ」というような考え方を私は若者の理想と考えています。やっていることは反抗期の若者と同じだからです。学校や先生が気に入らないからガラスを割ったり親や友人が気に入らないから暴力を振るうようなもので、自らが同意しかねる存在や事柄をただ闇雲に攻撃することでその存在を抹消しようとしているだけです。

 それはある種の逃避に近いものであり、少し言い過ぎな表現ではありますが幼い感情表現と言えます。なぜその問題が存在しているのかという根本原因に立ち入らなければ適切な問題解決というものは図れないにも関わらず、表面的な問題を叩くことに終始しているからです。

 

 例えば国内向け商品を販売している企業で、売上アップのための企画会議をしているとしましょう。そこで参加者の一人が「売上を上げるためには海外進出するしかない、国内だけで商売していることが問題なのだ。国内だけで商売しようと考えている奴らは愚か者だ」と騒いだらどうなるでしょうか。

 それがたとえ合理的な事実であり、国内市場は飽和していて海外の新規市場を開拓しなければ売り上げが伸ばせないとしても、この意見があっさりと受け入れられることはないでしょう。

 それは、『なぜ国内だけで販売しているか』という現状の根本原因に立ち入っていないからです。その企業に海外進出するだけの資金力はあるか、海外の販路はどうするか、それらを動かすための人材はいるか、そもそも海外で売れるという根拠はどこにあるのか。そういった何らかの理由によって海外販売が出来ていないという現実を考慮せず、理想をただ語りそれを満たしていない人々を愚かと決めつけてしまっては、無意味に反感を買ってしまい強固な反対勢力に阻まれてむしろ問題解決に支障を来たすことでしょう。

 

 理想を語ることは必要です。問題提起だって不可欠です。何が理想で、何が問題かをはっきりさせるためにも若者の理想は無くてはならないものです。しかしその論理を振り回して問題があることを叩くだけでは問題を真に解決することは望めないということも忘れてはいけません。

 

妥協のアプローチ:長老の知恵

 問題を解決して物事を前に進めたいのであれば、必要になるのは長老の知恵です。

 これは若者の理想の反対ではありません。若者の理想の反対は年長者の理想であり、年長者の理想とは革新的な若者の理想とは真逆の、保守的でリスクが少ない行動を理想とするものです。そうではなく、革新的な若者と保守的な年長者の間を取り持つ第三者的中立の立場としての長老の知恵が問題の根本解決には必要です。

 集団を保全することに責任を負う長老の立場としては、若者の理想は多少現実を見ていないとしても新しい視点として貴重なものです。しかし現時点の集団を支えている年長者を無下にすることもできません。若者には集団の核として将来活躍してもらうためにも活発に活動してもらいたいと考えますし、屋台骨である年長者にヘソを曲げられるのも困ります。どちらかの提案を採用して片方を切り捨てるという考えは長老の立場ではあり得ないのです。それをやってしまっては遅かれ早かれ集団が分断され、瓦解してしまうのですから。

 よって、若者の持ち寄る理想と、年長者の持ち寄る現実、それらを擦り合わせて調整し、妥協点を見出し、どちらかの提案を採用するのではなく双方を納得させることが不可欠であり、その妥協の産物こそが長老の知恵です。

君たち若者の言い分は分かった、確かにそれは問題だ。

しかし年長者の言い分を聞いてみると、これをやっていることによる全体の利益も存在するようなのだ。これをただ止めてしまうとこの利益も無くなってしまうので、困る人や反対する人が出てくるだろう。

だがこの問題を解消しなければならないのは間違いない。そこで、これを直ちに止めるのではなく、こういう仕組みを作るのはどうだろうか。そうすれば利得を維持しつつ段階的に問題を解決することができるだろう。解決までには少し時間が掛かるし若者にも年長者にも多少の負担が掛かるとは思うが、この仕組みならば利得を維持できるので皆の賛同を得られると思うのだが、いかがだろうか。

 物語化しない具体的な例を挙げるならば、例えば『年金問題』などです。

 年金制度には明らかに問題があることが明白です。しかしだからといって今の仕組みをぶち壊せば問題は無くなるかと言えば、年金で生活している高齢者の中には困る人が絶対に出てきます。何も考えずに「壊せ壊せ」と騒げば、当然ながら「勘弁してくれよ」という反対勢力の声だって大きくなり、問題を解決するどころか押し合いへし合いの膠着状態へ陥ることは火を見るより明らかです。

 よってこの問題を解決するためには誰が何をどの程度負担することによって軟着陸させるかという長老の知恵が必要であり、ただただ年金制度を叩けばいいというわけではないことがお分かりになるでしょう。

 

若者の理想に終始しないこと

 前述したように、若者の理想は不可欠です。問題を問題であると発見することは集団の健全性を保つのに必要であり、若者の理想を捨て去る必要はありません。

 しかしその理想を鉈のように振り回すだけではなく、ある程度問題を周知することに成功したらアプローチを見直して欲しいという話です。もしくは問題を解決できる人に引き渡しましょう。ひたすらに鉈を振り回してしまうと、たとえ意見に同意してくれる人がいたとしても怖がって離れていってしまいますので。