科学とは「真理の束」ではなく「知識の束」であり、科学的コンセンサスの取れた知識とそれに反対する知識の両方を包括したものが科学的知識となる。
間違った意見は、排除するのではなく正しい知識を補強する根拠として包括すべきものであり、知識の確実性に疑問を投げかけることを拒絶してはならない。
科学的コンセンサス
科学者の大多数が一般的に抱く合意・判断・見解を「科学的コンセンサス」と呼びます。
もちろん科学は多数決ではありませんので科学的コンセンサスが絶対的な真理となるわけではありませんが、少なくとも公衆で物議を醸しているほどには科学者間で論争になっているわけではない事柄に対して、科学者の集合的知見を明確にするため科学的コンセンサスが発表される傾向があります。
今回は例示として気候変動をベースにしていきましょう。
まず、IPCC第1作業部会(自然科学的根拠)の報告書で述べられているように「人間の影響が大気、海洋及び陸域を温暖化させてきたことには疑う余地がない」は論理が確立しており、地球の気温は上昇していて、それに人間の影響があることは科学的に証明されています。
実際、「気温は上昇していない、地球温暖化は嘘である」とした絶対的な気候変動否定論者は昨今ではほぼ見かけなくなりました。
これが科学的コンセンサスです。
ただ、コンセンサスの幅については留意する必要があるでしょう。
IPCCの報告書では様々な見解が述べられており、それらは確信度や可能性の表示を持ってコンセンサスの幅が提示されています。全ての見解が「疑う余地がない」と断定的に合意されているわけではなく、様々な見解や証拠が折り重なっての幅を持った合意点です。
そして幅の広い予測については判断を保留する余地があります。全てを断定的に考えることこそ非科学的であり、科学では「分からないことを分からないと言える」態度が重要です。
よって科学的コンセンサスに一致していない見解があったとしても、それは必ずしも誤りではありません。幅を含めてのコンセンサスであり、確信度が低く幅の広いコンセンサスに対しては当然ながら異なる見解が存在しています。その幅を考慮せず、なんでもかんでも科学的コンセンサスがあるのだから異論は認めないと排除することは科学的な姿勢ではありません。
懐疑論への科学的応答
「地球温暖化は嘘だ」としたコンセンサス自体への否認、「モデルや観測には不確実性がある」とした方法論的な懐疑、「人為的影響の程度や予測の妥当性には疑問がある」とした結論への懐疑など、科学的コンセンサスに対する懐疑論は様々生じます。
そこでやってはいけないのは、懐疑論の存在そのものを否定したり、当人を説得しようと試みることです。頭ごなしの糾弾やレッテル貼りは避けて、あくまで科学的なやり方に終始する必要があります。
人が何を信じているかなんてどうでもよく、科学で必要なのはデータに基づいた客観的分析と第三者への発信であって、当人を否定したり説得する意味は科学においてありません。むしろ懐疑的な見解へ適切に反証できればそれが科学的コンセンサスの幅を狭めて確信度を高める効果を持ちますので、科学の立場では懐疑論を歓迎すべきです。
もちろん政治的コンセンサスにおいては懐疑論の存在が厄介となります。政治的コンセンサスでは幅の概念を持ち難いためです。予算を配分するためには何かしらの絶対的な結論が必要になります。
しかしそれを気にするのは政治家の仕事であり、科学者であれば科学を考えることが優先です。科学的コンセンサスと政治的コンセンサスを合致させようとすることは、科学にとってあまり望ましくありません。
教義(ドグマ)を避けること
懐疑論を遠ざけて科学的コンセンサスを絶対視することは、懐疑論が存在することよりも科学にとってリスクです。
異論の存在しない無謬の科学的真理は言わば宗教的教義(ドグマ)に類似するものであり、科学的方法として確立された批判性や暫定性を損ねることになります。
疑似科学やオカルトと科学を線引きするものは何か。
それは雑に言ってしまえば科学的方法に則っているか否かであり、科学的方法を用いない科学は科学では無くなります。
よって科学ではどれだけ政治的な要望があろうとも科学的方法を堅持する必要があります。懐疑とそれに対する反証、全て含めての科学的コンセンサスであり、異論を「異端」と排除するようでは科学の健全な知的エコシステムを維持できません。
結言
たとえ相手が非科学的であっても、科学側が感情的・政治的に応答してしまえばそれは科学の敗北です。異論に対しては、冷静に、構造的に、そして開かれた姿勢で科学的に応答することが、科学が社会において信頼され続けるための唯一の道だと言えます。
余談1
個人的な見解ですが、IPCCの報告書自体は立派なものですし、それを元に議論することは一切異論もないのですが、政策決定者向け要約(SPM)だけはいただけないと思っています。政策決定のために科学的方法を多少犠牲にするようなやり方は科学的に不適切でしょう。
無理なことは分かっていますが、いっそのこと科学が政治に膝をつかせるくらいの気合を見せて欲しいものです。不確実な未来予測に合わせて多面的で複雑な政策立案をさせるぐらいであってもいいのではないでしょうか。
余談2
私の専門分野である熱力学で言えば、熱素説が否定されたからこその熱力学です。正しく熱素が否定されたからこそ現代の熱力学は発展したのであり、熱素説を頭ごなしに糾弾したり無かったことにする必要はありません。
もっとシンプルに言えば、「成功に失敗はつきもの」です。
失敗を無かったことにするのではなく失敗を糧にして初めて成功に至るのであり、無数の失敗を礎としての成功なのですから、失敗を忌避したり無かったことにするようなやり方は不適切です。
つまり、誤情報を流通させてはいけない、不適切な見解を発信してはいけない、そう考えるのはいわゆるゼロリスク思考であり、科学にとって現実的ではありません。
間違えた見解や正しくない見解を踏まえてこそ正しい見解へ辿り着くことができますし、そのための修正策が盛り込まれているのが科学的方法です。科学は失敗を前提としており、科学的方法に沿った議論を堅持することが科学にとって重要だと言えます。