忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

「何事もバランスが大切」論者の考えるバランスのとり方

 

 何事も時と場合によるものであり、一辺倒の極端な考えこそが危険。

 人は状況に応じて意思決定を行わなければならず、単一の完全な回答となる銀の弾丸はない。

 如何な至言や信念であってもそれ単独で全てを打開できるわけではないことを理解し、大変なことだが、日々ちゃんと頭を使わなければならない。

 

 と言った話をしようと思ったのですが、概ねこれで言いたいことを言い切れてしまいました。終わりです。

 

 これで終わってしまうと寂しいので、蛇足的に「美徳も時には毒となる」パターンをいくつか考えてみましょう。

 

「何事もバランスが大切」論

謙虚であれ」は誰しもが持つ傲慢さを抑制して人間関係を円滑にできますが、度が過ぎると自己主張ができずに他者だけでなく自分自身で自分を評価されなくなります。謙虚さと自己肯定は両立可能であり、バランスが大切です。

人を疑うな」も信頼関係の構築には大切なことです。しかしあまりにも人を疑わないと詐欺や裏切りに遭いかねません。信頼と警戒はどちらも必要です。

親切にしなさい」も他者への思いやりを持つために必要でしょう。とはいえ過度な親切は限度を超えた搾取にもなり得ることから、親切と自己防衛は適度に線引きされなければなりません。

正直であれ」も必要なことです。嘘吐きは信頼されません。しかし常に正直であればいいわけでもなく、無遠慮な発言で人を傷つけたりしないよう、正直さと配慮を両立できる成熟が求められます。

忠誠を尽くせ」も社会集団で生きる上で必要なことです。仲間へ貢献できる人は親しまれますし、集団の紐帯に必要な要素と言えます。とはいえ過剰な忠誠は不正や搾取といった集団の腐敗にすら加担しかねないため、忠誠と倫理の葛藤を見極める力も必要です。

自分を律しなさい」も自制心の育成に必要な言葉ですが、感情を抑えすぎて心が壊れるようでは本末転倒です。自律と感情表現は両立可能ですし、両立しなければなりません。
すぐに行動せよ」は昨今の加速した社会で必要な指針でしょう。とはいえ十分な検討なしに誤った選択をするリスクは当然ありますので、行動と熟慮のバランスを取る必要があります。

人に迷惑をかけるな」は自律した人間同士で求められる当然の配慮です。しかしこれも度を過ぎれば他者に助けを求められず孤立する危険があります。時にはお互い様の精神で支え合うことも必要でしょう。

我慢は美徳」であることは疑いようもありません。忍耐力は立派な美徳です。そしてもちろん不当な扱いや搾取による自己犠牲と我慢は別物であることを理解し、必要な我慢か否かを見極めなければなりません。

自分の意見を貫け」は自己主張を促進して自己肯定感の確立に繋がります。とはいえそれは裏を返せば頑迷固陋、状況に応じた柔軟な対応ができず孤立しかねません。意見の修正や対話も成熟した姿勢として尊重すべきです。

常に前向きであれ」は生きづらさを緩和するポジティブな言葉です。かといってそれだけでネガティブな感情が消えるわけでもなく、抑圧した感情は心身の不調を招きかねません。負の感情も自己理解の一部であり、受容が必要です。

結果がすべて」は分かりやすい言葉です。成果主義を内面化し過ぎるとプロセスや倫理を軽視して不正や過剰競争を招きます。結果と過程の両立こそが健全な成長を促すものです。

向上心を持て」もたいへん前向きな言葉であり成長の根幹です。しかし過度な向上心は毒であり、理想と現実のギャップに苦しむことになりかねません。用法・用量を守って薬とすることが肝要です。

逃げてはいけない」は誰しもが持つ怯懦を打ち払い困難に立ち向かう勇気を促してくれます。とはいえ危険な状況であれば時には逃げることも必要であり、勇気と無謀は紙一重です。

諦めるな」は継続の重要性を理解するために必要です。しかし努力の成果は継続だけでなく、努力の質や方向性、環境や機会といった要素もあり、意味の無い努力で消耗することを避けるためには努力すべきポイントを見定めなければならないでしょう。

ルールは絶対守るべき」は立派な考えですし、社会秩序の維持には必須です。しかし時代にそぐわない不合理なルールも存在しますので、ただ盲目的にルールを守るのではなくルールの目的や妥当性を見極める力だって必要となります。

自分らしく生きろ」も良い言葉ですし自己肯定感の育成となります。しかし自分らしさに捉われるあまり他者との協調を拒んで孤立するようでは自分らしく振る舞えません。そうならないためにも自分らしさと社会性のバランスが重要です。

 

バランスのとり方

 一辺倒に尖るな、尖った部分を削れ。

 そういった話ではないことに注意が必要です。

 

 むしろ尖った部分はたくさんあったほうがいいでしょう

 バランスを取るとは状況に応じて判断・指針・方法を適宜変えていくことであり、その時々で適切な選択をするためには尖った部分をたくさん持っている必要があります。

 言い換えれば、

「100を捨てて0になれ」

ということではなく、

「100も-100も持て」

「時に100、或いは-100、はたまた合わせて0、場合によっては組み合わせで50や-50などを選べ」

といった話です。

 

結言

 要するに「何事もバランスが大切」論は決して【単一の完全な回答となる銀の弾丸】ではありません。むしろ真逆です。

 手札が無ければ何も選べないものであり、バランスを取るために幅広く尖った部分を持つことを推奨しているのが「何事もバランスが大切」論です。

 つまるところまったく優しい考え方ではなく、むしろ過酷だとすら言えるでしょう。なにせ、一つの道を極めるのではなく多数の道を極めろと言っているようなものですので。