忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

根性論の合理性

 

 書類作りがまだ終わっていないのに夏休みが終わりそうで、8月末間近の学生気分になりつつあります。

 まあ終わっていなくとも致命的なものではなく、終わっていたほうが連休明けに楽ができる程度のものですので、なんとか残りの間に終わらせます

 いやどっちやねんという話です。

 よく分からない持論として、楽な道から苦しい道に切り替えるのは大変ですが苦しい道から楽な道に切り替えるのは極めて容易なため、まずはとりあえず苦しい道を選んでおけば外しません、と思っているので、とりあえずは大変なほうを気軽にチャレンジしてみるのが良いのではないでしょうか、はい。

 

根性論の合理性

 「とりあえず苦しい道を選んでおけば外さない」と言うとちょっと根性論的な考え方のように思えるかもしれません。実際、一種の根性論かと思います。

 根性論というと「気合で乗り切れ」や「泣いてもやれ」といった感情的なイメージが先行で、感情論の親戚のように見えるかも知れません。しかし実際には相当に合理的な側面もあると思っています。

 このブログでは度々「他者に強要する根性は強欲の親戚であり悪徳だが、自身に適用する根性は概ね美徳である」といった類のことを述べてきた通り、私は意外と根性肯定派です。それは根性論に一種の合理性を見出しているためです。

 

 とりあえず、根性論だけで何かを為し遂げることは大抵不可能です。感情が現実を変換すると信仰するのは"魔法"や"超能力"を信じるのと同じであり、厳しい表現ですが現実を直視できていない逃げの発想とすら言えるでしょう。

 しかし物事における一要素として、感情を全て無視する必要もありません。むしろ根性のような感情は才能や時間、環境や努力の質などと同様に、物事の成否に影響する要素の一つです。

 さらに言えば、根性とはそれらの中でも特に重要な一つだと言えます。何故ならば根性は他の要素と比較して遥かにコントローラブルだからです。

 才能は生まれつきのものですし、時間は誰にも平等で差を付けることは難しいでしょう。環境はほぼほぼ運で決まりますし、努力の質は知識量や指導者に依存します。対して根性、すなわち「やるかやらないかを決める意志の力」は最も自身がコントロールできる要因であることは疑いようがありません。そしてコントロールできる要素にフォーカスすることは充分以上に合理的な選択です。

 他にも根性は時間要素にも影響を与えます。悩む時間、迷う時間、逃げる時間、そういった余計な時間を消し飛ばしてやると決めたことをやる、それは意志力の浪費を避けて効率的かつ継続的に時間を活用する結果をもたらすことから、大変に合理的です。

 

結言

 他にも、根性は一種の誠実さに近似するものであり他者との信頼関係を構築できるなど、色々と美徳に属する利点を多く持っています。利点が多いものを活用することは、実に合理的だと言えるでしょう。

 もちろん根性に依存して無理をしたり追い詰められたりすることは望ましくありませんし、前述したように他者へ強要することは美徳ではありません。他者へ振りかざすべきではなく、自身へ振りかざす時も慎重にやらねばならないでしょう。

 そういったリスクを十分に勘案して取り扱うのであれば、根性は”火”や”刃物”のように有益なものとなり得ます。