「大人になったら勉強しなくていい」から始める思索。
今回はあえて複数の結論と言いますか、明確な結論を定めない方向で書いていきます。概ね人生にまつわる話となりますので、どれが正解かはありません。
選択肢の幅
短い大人の夏休みではありますが、毎日英語の勉強は欠かさず続けています。習慣の力とは恐ろしいものです。むしろ労働時間がない分時間の都合が付きやすいので、とても捗っています。そして英語に限らず他の勉強もちょこちょことやっていますので、学生の頃より社会人になってからのほうがよほど毎日勉強していそうです。
とはいえ私が大人だから勉強しているわけではなく、必要だからやっているだけです。冒頭で記述した「大人になったら勉強しなくていい」は一面的には事実であり、勉強をしなくてもやれる大人と、勉強をしないといけない大人の二種類が社会には存在しているだけと言えます。
医者やエンジニアのような専門職は勉強しなければいけませんし、警察や消防士は体を鍛えなければなりません。漫画家や小説家は技術や想像力を育まねばなりませんし、そういった技能が不要な仕事であれば何かしらを積み重ねる必要はありません。ShouldとWantはイコールであり、そう在りたいならばしなければならないことがセットで発生します。Wantオンリーで進行することは大抵の場合不可能です。私は専門職なので勉強を必要としています。
これは逆説的に、Wantが不明瞭でもShouldに対応できるならば将来の選択肢が広がりますので、若いうちは勉強も運動も趣味も色々とやっておいたほうがお得ではありますが、まあその辺りは各御家庭の教育方針や当人の希望次第でしょう。
つまるところ、人それぞれ好きにすればいい話です。
ただ、個人的にはShouldとWantが重なっていたほうが楽しいとは思います。私は技術系の仕事として勉強をしなければなりませんし、それを望んでやっていますので、まあ人生を楽しく生きている側に入っているでしょう。
もちろん人生を楽しむかどうかも個人の好き勝手ですので、人生を楽しみたくないから選択肢を増やさずやりたくないことをやる、そういった人生を生きるのも個人の選択です。別に厭味や皮肉ではなく、自由とはそういうことだと私は考えます。
これらは仕事や職業に限った話ではなく、極論ですが何事でも同じです。何かしらのWantを実現するためにはShouldが必要になります。
今時の考え方でコストパフォーマンスやタイムパフォーマンスを重視して、早くからWantを定めてそれに沿ったShouldをこなすのでもいいでしょう。そしてその場合は後々新たなWantが心中に生じた場合にどうにもならなくなりますので、事前に様々なShouldを揃えておくことも悪いことではありません。
先行きを早めに定めて効率的に生きるも良し、変化に備えておくことも良しです。
結言
世の中にはやりたくないことをやらされている、やりたいことをやれていない、すなわちWantとShouldがアンマッチしている人が多々います。
もちろん最終的には身の丈に合ったWantかどうかも問われることですので難しい話ではあります。しかしいずれにせよそれが自分の選択と結果です。
人生の正解は無く、人それぞれ異なる感想が生じます。
そして"自由"とはそれらをある意味で強制される、存外に過酷な概念だと言えます。
ここまで書いておいてなんですが、夏休み中に書くようなテーマではなかったような気がします。これもまた"自由"ではありますが。