月に一度くらいの頻度で「教養なんて何の意味があるんだ?」と言った言説をインターネットで見かけます。見かける度に教養を話題とした記事を書いているため食傷かもしれませんが、また教養について考えを整理してみましょう。
教養とは「知識の種類や量」ではない
言葉の話をするときはまず辞書を引くのが一番です。
辞書によれば教養とは次のような意味を持っています。
学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。
学問・知識を(一定の文化理想のもとに)しっかり身につけることによって養われる、心の豊かさ。
「―のある人」
教養の説明としてはこれだけでも充分に分かりやすいです。
要するに教養とは「持っている知識の種類」や「知識の量」といったことではなく、学問や知識を学ぶ行為を通して得られる心の豊かさを意味します。
さらに他者の言葉を援用させてもらうと、教養に関しては太宰治の言が分かりやすいでしょう。『正義と微笑』から一節を引用してみます。
勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ!
カルチュアとは少し古風な言い回しで、今風に言えばカルチャー(culture)です。
cultureは直訳すると「文化」ですが他にも「土地を耕すこと」を意味する言葉でもあります。農業や農耕は英語でagricultureなので意味を結びつけると覚えやすいでしょう。
同じ言葉の縁から、教養は農耕で例えると分かりやすいと考えています。
知識とは土地に咲いた草花です。草花はいずれ忘却によって枯れていくものですが、枯死した草花は土壌の栄養へと変わり次の草花を芽吹かせるための糧となります。
そして学ぶ行為は耕すことと同義です。草花を芽吹かせるためには土地を耕して土壌を柔らかくする必要があります。
つまり、どれだけ自らの中に知識と言う名の草花を芽吹かせているかが教養なのではなく、草花が芽吹くことのできる土壌こそが教養だと言えます。「心の豊かさ」とはすなわち心の柔らかさと栄養の豊富さです。
教養があると何が良いのか
心が柔らかく滋養に満ちていて豊かである、すなわち教養があると何か良いことがあるかと言えば、その最たる利得は人生が楽しくなることです。
まず、私たちは基本的に自我の奴隷です。
世界の全ては自分というフィルターを通して感受する他なく、そのために「世界の状況」や「他人の心情」に対して自らのそれは圧倒的な手触りを持っています。私たちは何もしなければ自らが世界の中心であり、「自分の感情」や「自分の欲求」が優先的に思考される狭い世界に囚われている状態が標準だと言えます。
例えば高速道路でやたらと飛ばしている車に苛つくことがあったとして、その苛つきは「自分の苛つき」です。心に柔軟性が無いと真っ先に浮かび上がってくるその感情だけに囚われることとなります。
しかし教養によって心が柔らかくなっていると、自我の枷に囚われない異なる着眼を持てるようになります。「もしかしたら親が急病で急いで帰っているのかもしれない」「もしかしたら子どもがトイレに行きたがっていてSAに急いで向かっているのかもしれない」、そういった「自分の感情」ではない別の側面や発想を物事から見出すことができます。
これは後者の考え方が正しいとかそういったことではなく、重要なのは物事の見方を選択することができるようになることです。「自分の苛つき」に囚われなくてもいい選択肢があることを知り、それを選択できるようになることに意味があります。
選択肢があることはつまり心に自由があるということです。心が自由であれば自我に囚われることで生じる様々な苦しみの軛から解放されて生きることが楽になり、楽しく生きることができるようになります。それこそが教養の最たる利得でしょう。
結言
つまり教養とは「心の豊かさ」のことです。
そして心が豊かだと生きることが楽しくなります。
日々を暗澹と過ごすよりは楽しく暮らすほうが良いと私は思っていますので、だからこそ教養は素敵なものだと考えます。
余談
教養とは言い換えれば「自由に視点を変える力」であり、それはつまりマインドフルネスなのだ、といった話を展開しようと思いましたが、長くなりそうなのでまたそのうち気が向いたら書きましょう。