マインドフルネスはだいぶ人口に膾炙した言葉ですが、その必然として定義が曖昧になってしまっている言葉でもあります。マインドフルネスの唱道者それぞれにやり方や論理が乱立しており、何をどうしてどんな効果があるものがマインドフルネスなのかは混沌としていると言っていいでしょう。
マインドフルネスの論理
個人的には以下の説明がマインドフルネスの論理をもっとも妥当に説明できていると考えます。
The basic logic is quite simple: the quality of your mind determines the quality of your life. Happiness and suffering, no the matter how extreme, are mental events. The mind depends upon the body of course, and the body upon the world, but everything good or bad that happens in your life must appear in consciousness to matter. This fact offers ample opportunity to make the best of bad situations, because changing how you respond to the world is often as good as changing the world. Of course you can try to change the world, you can try to get everyone around you behave exactly as you want, you can try to never get sick or injured, you can try to keep your favourite possessions from getting damaged or lost. But try as hard as you might, the sources of stress and disappointment and embarrassment and self-doubt will always be there. Happily there’s another game to play and not everyone knows about it. Rather than trying to change the world in each moment there’s another move open to you. You can look more closely at what you’re doing with your own mind and actually cease to respond to life in ways that produce needless suffering for yourself and those around you.
The Logic of Meditation - Mindfulness Coaching with James Happe
基本的な論理は非常にシンプルです、貴方の心の質が人生の質を決定します。幸福や苦しみ、それらはどんなに極端であっても心の中の出来事です。もちろん心は身体に依存し、身体は世界に依存していますが、人生で起こるすべての良いことや悪いことは意識に現れなければ意味を持ちません。この事実は、悪い状況でも最善を尽くす機会を豊富に提供してくれます。なぜならば世界に対する自分の反応を変えることは、しばしば世界そのものを変えることと同じくらい効果的だからです。
もちろん世界を変えようとすることもできます。周囲の人々に自分の望む通りに行動させようとしたり、病気や怪我を完全に避けようとしたり、お気に入りの物が損傷したり失われたりしないように努めることもできます。しかし、どれだけ頑張っても、ストレスや失望、恥ずかしさ、自信喪失の原因は常に存在します。
幸いなことにもう一つの選択肢があり、そのことを知っている人は少ないです。それは、世界を変えようとする代わりに、自分の心で何をしているのかをより注意深く見つめて、無駄な苦しみを自分や周りの人々にもたらさないようにすることです。
あるいは言葉の語源から説明をするのも妥当かもしれません。
マインドフルネスは元々仏教における八正道の一つ、正念(サティ)の英訳です。正念はとてもシンプルに訳すと「気付き」の意味であり、今現在の内外の状態に気付いた状態をマインドフルネスと言います。身体的・感覚的・心理的・現象的、それら様々な事象の状態を無数の側面から眺めることで苦しみを生み出している根源に「気付き」、それによって苦しむ必要はないことに「気付く」こと、それがマインドフルネスの論理です。
教養の意味とマインドフルネスとの類似性
教養とは学問や知識をしっかり身につけることによって養われる心の豊かさです。教養のある人は自らの我欲に囚われず柔軟で柔らかな物の見方を選択することができるようになります。言い換えれば教養とは「自由に視点を変える能力」です。
教養とマインドフルネスは異なる表現を用いているものの、どちらも「気付き」によって苦しみを取り除き、より良く生きることを利得としています。
それはつまり、教養を身につけた人は自然体でマインドフルネスの状態にあると言えるのではないでしょうか。
マインドフルネスというとどうしても瞑想によって身につけるものだとした考え方が喧伝されがちですが、実際には必ずしも瞑想を必要とはしません。
その点からすれば教養とマインドフルネスの関係に関する上述の仮説は意外と的を射ているのではないかと思っています。
You can practice mindfulness throughout the day, even while answering e-mails, sitting in traffic or waiting in line. All you have to do is become more aware—of your breath, of your feet on the ground, of your fingers typing, of the people and voices around you.
Mindfulness Matters | NIH News in Health
メールの返信をしているとき、交通渋滞に巻き込まれているとき、列に並んでいるとき、一日中いつでもマインドフルネスを実践することができます。必要なのは、自分の呼吸や地面に接している足、タイピングしている指、周りの人々や声にもっと意識を向けることだけです。
I know plenty of deeply purposeful leaders who don’t meditate, and their performance doesn’t suffer. Perhaps running, cooking, dancing, walking in nature, or simply staring at the sky or ocean is your path to mindfulness.
瞑想をしなくとも目的意識を持ったリーダーをたくさん知っていますが、彼らのパフォーマンスが低下することはありません。もしかしたらあなたにとってのマインドフルネスの道は、ランニングや料理、ダンス、自然の中を歩くこと、あるいはただ空や海を見つめることかもしれません。
結言
元々マインドフルネスには瞑想が必須ではないと思っていましたが、今回は教養との関係を考えることでより意味のある考察になったと考えます。
瞑想やマインドフルネスは『今、この瞬間に集中する』ことで己に向き合う行為です。
つまり、瞑想やマインドフルネスによって「心の安らぎを得る」ことができるのは、行為そのものの物理的な成果ではなく、苦しみを生み出している”我”を見つけることができるからだと、そう理解しています。
だから、やり方はさほど重要ではないとも考えます。
マインドフルネスにおける瞑想のやり方はまず呼吸に意識を置くことが世間では言われています。そうすることで自らの意識を外界から切り離して内的な部分にだけ注視できるようにすることが目的です。
その点、触覚を日常的に意識している人は自らの呼吸や歩行などあらゆる行動によって生じる肌感覚の変化をそもそも日常的に検出していますので、場を整えて瞑想をしようとするまでもなく日常的に自らの内面的な変化と外界を切り離すことに長けています。
重要なのは方法論ではなく論理、すなわち苦しみに気付き、苦しむ必要はないことに気付くこと、それが重要です。