だから心の中では住み分けましょう。
意思統一の限界
集団において参加者全員の意志を統一できるか否かは規模に依存します。
サークルや部活動くらいの小集団であればまだ検討の余地もありますが、それですら時に軋轢を生じることもあるでしょう。それが企業や国家の規模ともなれば完全な意思統一は現実的に不可能です。
たしかに構成員の誰もが組織の意志に従うことを是とした状態となれば組織の目的達成に用いることのできるリソースは膨大となるのですから、集団の運営者としては構成員の意思統一を図りたいと思うのも自然なことです。
しかし数多の組織がそれに失敗して崩壊してきました。
その原因は比較的明白です。
第一に、参加者全員の意志統一を図る方法としては「組織の目的に沿った参加者を取捨選択する」かあるいは「参加者を洗脳する」以外にありませんが、前者は規模の拡大ができずに組織の先細りを招き、後者は倫理の面で批判を受けます。いずれにしても意思統一を果たした組織の体を保ち続けるためにはコストが膨大となり、いずれ崩壊します。
第二に、意思統一の為された集団は強力ではありますが脆弱でもあります。ダーウィンが言うように「強いものではなく変化に敏感なものが生き残る」のが適者生存の現実であり、意思統一の為された集団はその意志に固執してしまい変化に乗り遅れて滅びることとなります。
いくつかの事例を挙げてみましょう。
例えば戦時中の特別高等警察などは典型例です。集団の純化を図ること、戦争への賛成で意思統一を図ろうとした結果の産物だと言えますが、その純化の末路は誰もが知る通りでしょう。意思統一が為された集団は柔軟さを失い変化に適応することができなくなり、破滅に至るまで変えることができなくなります。
その反対側として、戦後の新左翼運動が社会の主流に成れなかったのもこの部分が一つの要因だと思っています。彼らは意思統一を図るために組織への参加の取捨選別や洗脳を行った結果、集団は常に分裂して先細りとなり、世の中の変化にも適応することができませんでした。
つまるところ集団の純化は現実的ではなく、また長期的な視点で見れば悪影響のほうが大きいと考えます。それよりは多様な価値観を内包した緩い紐帯によって構成された集団のほうが生存確率は高いものです。
やり方や意思が同じである必要はない
身近な事例であれば、企業も同じです。
企業で働く人の中には、バリバリ働いて組織に貢献して出世をすることが正しいと考える人もいれば、求められた所定の労働を提供して残りは自分のために使うことが正しいと考える人もいます。
それらの意思統一を図る必要はありません。
誰もが前者のような組織のほうが成果は大きいでしょうがいずれはブラック企業のように社員が摩耗して先細りとなる結果を招きますし、誰もが後者のような組織は逆に競合他社との競争に勝てず市場から撤退せざるを得なくなります。
あえて意思統一を図らずに前者の人と後者の人がバランス良く両立されている組織こそが実のところ最も堅牢です。最低限の紐帯さえ保てていれば後は個々の自由にさせたほうが最終的な成果は大きく、また長続きします。
ですので、同じ組織で働く人々の考え方が違ったとしても心の中で住み分けていれば問題ありません。バリバリ働く人を批難する必要も無ければ、ほどほどに働く人を責める必要もなく、組織にはそのどちらも必要です。
結言
最適な組織マネジメントやリーダーシップとは、意思や行動を統一して規制することではなく、緩やかな方向性の共有です。数多の書籍がリーダーの役割を『方向性の提示』としているのはこれが理由だと言えます。
どうやるか、どんな気持ちでやるかを強制するのではなく、どうやってもいいがここへ向かって欲しいと提示してそのための紐帯を保つことがマネージャーやリーダーのやるべきことです。
余談
もちろんこれは組織の目的次第なところはあります。
例えば甲子園を目指す野球部のような集団であれば多少なりとも強制や排除をしてやる気のある学生だけを集めるような意思統一が是とされます。
対して法人や国家のようにその永続性が求められる集団であれば意思統一は悪手です。