忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

根性は全てを解決しないが、根性が無ければ困る

 

偉い人「どうだ、最近元気か?」

私「いえ、メンタルがだいぶやられてます」

偉い人「ちゃんと自己診断できているのは偉いな」

私「最近は朝飯にパンを食ってましたが、今は呑み込めないのでゼリー飲んでます」

偉い人「だいぶキテるな」

私「昨日も部長から「お前最近大丈夫か?」と心配されました」

偉い人「見て分かるくらいにやられてるのか」

私「ひと段落ついたらリフレッシュします、さすがに来週の海外出張はサボれませんので」

偉い人「そうだな、まあ後で休め」

 

 来週を無事に乗り越えられるかが勝負所です。

 

常に万全とはいかない

 古来より「人間万事塞翁が馬」「禍福は糾える縄の如し」「沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり」などなど様々な格言をもって言われてきたように、この世は諸行無常で全ては変化して流転するものです。よって山あり谷ありは当たり前であり、誰しも、そして何事も楽な時期もあればしんどい時期もあります。

 そのような変転に対して常に万全であることなど望むべくもないでしょう。備えることは可能であれど、転ばぬ先の杖を持っていても転ぶ時は転びます。

 そうであれば、それによって生じる苦を糧とするも良し、へこたれつつも乗り切るも良し、苦を感じないよう悟るも良し、無理であれば逃げるも良しです。人それぞれ自分に合った適応方法を選択することが必要であり、特効薬や万能の妙手は存在しません。何はともあれ他者の助言は聞きつつも、それに依存せず自らの責任で選択することが求められますし、そうせざるを得ません。

 

 ちなみに私は、とりあえず気合いでぶつかってみて駄目そうなら逃げるバランス型です。

 

根性論は自身にのみ適用したい

 最近のしんどさ的に多少逃げ出したい気持ちが無きにしも非ずですが、まださすがに逃げるほどではないのでなんとか乗り切っていく所存です。

 なんだかんだ何十年も人間をやってきていますので、経験則上この程度であればまだ大丈夫です。人間以外はやったことがありませんが。

 

 ここ数年、少なくともブログを始めて以来では今が一番しんどい感じですが、まあ部署異動をして半年ほど経ちましたので仕事や人間関係が色々とヘヴィになってきたのが原因でしょう。こればかりは気合でこなしていくしかありません。

 基本的に根性論は好みではないです。

 ただ、それは『他人へ強要する根性論』が好みではないだけです。他人に対する根性論はその辺りの加減が難しく人を簡単に潰しかねないと思っているので否定的ですが、重圧で潰れない範囲に収まるのであれば『自分自身に対する根性論』は肯定しています。

 

 世の中には様々な手本や傾向、パターンやタイプ、好例や定番、手段や手法があり、それぞれの事象において適した教科書的な方法というものが概ね確立されているものです。多くの人々がそれを学んでいます。そのため競争で圧倒的に勝つためには教科書よりも優れたことをしなければいけません。しかしそれを見つけ出すには並外れた才覚が必要でしょう。

 よって多くの人は定型の範囲内で競争することになります。その場合どこで差が出るのか、それは結局のところ努力の差です。もちろん人それぞれに適した方法や個々人の能力差というものは厳然として存在しますが、能力差・環境差があるのは当たり前でそんなものは前提であり、その状況下においてなお差を縮め広げられるかが問われるのです。元々の能力差がある場合は並び立つのにより多くの努力が必要となるでしょうし、能力差が無い場合に差が出るのはどれだけ打ち込んで時間を掛けて努力したかです。

 そしてどれだけ時間を掛けて努力できるかというのは最終的に精神論へ依存せざるを得ないものです。これはさほど理解に難しいことではないでしょう。精神論・根性論に肯定的な意見があるのは、この努力の差異を決めるもの、すなわち如何にインセンティブを得てモチベーションを保てるかがまさに心の問題だからです。

 よって個人や物事の現場においては精神論が有用であると言えます。

 

精神論・根性論は使いどころによる - 忘れん坊の外部記憶域

 

 何はともあれ、今回は根性で乗り切っていくことを選択してみましょう。

 

結言

 最近お疲れモードです、それだけの話でした。

 

 「最近お疲れモード」のフレーズが出てくるのは、きっと学生時代にSURFACEをよく聞いていたからだと自己分析します。要らぬ分析です。