忙しい時は「忙しい、人が足りない、それらは言い訳に過ぎない」なんて意味の分からないフレーズが頭に浮かんできてしまいます。
実際言われたことがあるのもまた困ったものです。
まあ、正気の頭で考えれば組織において忙しいことや人が足りないことは遅延や停滞が生じるにあたっての正当な理由ですので、これが言い訳に聞こえるようであったりこのようなフレーズを憚ることなく口にするような心理状態は狂気に陥っていることを疑う必要が出てきます。
できないものはできないのであり、無い袖は振れません。インパール作戦からもう80年も経つのですから、無理は無理だとちゃんと理解せねばならないでしょう。
誰の責任?
そもそもリソース不足は現場ではなく管理側の責任です。
現場の仕事は割り振られたリソースを最大限有効に利活用することですが、対して企業の経営リソースはヒトモノカネを言われるように、人を雇うのも、物を買うのも、金を管理するのも、全て現場ではなく管理側の仕事です。
よって現場にヒトモノカネが足りないのであれば、それは現場に適切なだけのリソースを供給できていない管理側が反省すべき点ですし、リソースが足りない場合の責任は現場ではなく管理側となります。
そのような当たり前のことを忘れて現場から上がるリソース不足の声を跳ね除けたり現場に責任を押し付けるような仕草は責任転嫁以外の何物でもないでしょう。
さらに言えば、現場の根性や精神論といった善意に基づく追加リソースに甘えて適切な計画を組めないのは、もはや恥ずべきことだとすら言えます。あるかないか分からない不明瞭なものに頼って計画を組むべきではありません。
精神論の適用先
これは以前も取り上げたことがありますが、私は精神論を必ずしも否定するわけではありません。根性や精神論は必要なものであり、同等の者同士が競い合った場合には気合と根性こそが勝敗を分けると信じています。
そしてどれだけ時間を掛けて努力できるかというのは最終的に精神論へ依存せざるを得ないものです。これはさほど理解に難しいことではないでしょう。精神論・根性論に肯定的な意見があるのは、この努力の差異を決めるもの、すなわち如何にインセンティブを得てモチベーションを保てるかがまさに心の問題だからです。
よって個人や物事の現場においては精神論が有用であると言えます。
根性や気合は美徳とすら言ってよいでしょう。
それは称賛されるべき善であり、持つべき徳です。
しかし美徳とは自身に課すからこそ意味と価値があるのであって、他者に求めてはいけません。
しかしそういった美徳は己が自らに対して課すからこそ美徳足り得るものであり、他者へ美徳を求める行為は悪徳に他なりません。
これは少し考えれば簡単な話で、人へ無理解のままに努力を求めたり、他者の献身を前提としたり、相手に忠誠を強制したりするような行いが美徳であるはずはありません。むしろこれらは傲慢や貪欲といった悪徳の親戚でしょう。
そのため、私は他者に美徳を発揮するように求める行為を是とは考えません。
リソース不足の声を無視して現場の努力不足に還元するような言説はまさにこの点、傲慢にも他者の献身を前提として貪欲に他者のリソースを食い潰すことから、私は明確に悪徳だと考えます。
結言
厭味な話ですが、それこそリソースが不足しているのであれば人を雇えばいいだけの話です。そのための人員が居ないだの雇うだけの金が無いだのは言い訳に過ぎない、このように意見を反転すればどれだけ意味の分からないことを言っているかが分かるでしょう。誰だって無い袖は振れません。
よって「忙しい、人が足りない、それらは言い訳に過ぎない」は論理破綻しており、このフレーズが出てくるような状況は正気ではありません。そう考えるべきです。