忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

ちょっとした変化を習慣に

 

 それが良かろうと悪かろうと、変化だけが変化をもたらす。

 

問題解決思考を脇に置いておく

 何かしらの問題を引き起こしている原因があるのであればそれを排除する。

 これは問題解決思考の基本的な骨組みであり、概ね妥当な考え方でもあります。どれだけ目先の問題を解決したとしても根本原因を排除しなければいつまでも問題が生じ続けるわけで、モグラ叩きを避けるためにも原因は根っこから断つことが必要です。

 

 とはいえ、それが常に最適解とは限りません。

 根本原因の分析には少なからず時間が掛かるものであり、その解消が必ずしも可能とは限らず、その行動によって生じる新たなリスクや問題も天秤に掛ける必要があるためです。受忍できる限度を超えるような問題であればとかく目先の緩和策が必要ですし、職場なり親族なりに何かしらの問題があったとしても後先考えずに全て放り出してしまうのはさすがに悪手でしょう。

 よって現実には直截的な問題解決思考を脇へ置いておき目先の緩和処置を行うことが妥当な場合も多々あります。

 厳しい言い方をしますが、何かしらの緊急性が高い問題が起きた時に犯人捜しを始めるような人は邪魔ですらあります。

 誰がやった、何故やった、どうやった、そんなことは後でじっくりと検証すればいいことであり、初期フェーズにはどうでもいいことです。まず何よりも重要なのは問題によって生じている被害を抑えるために今どうすればいいかを考えて実行することであり、そこに全リソースを注がなければなりません。

 

緩和のための変化

 目先のストレスや問題を緩和する方法は世間でも様々謳われていますが、その基本は『変化』です。さらに言えば『自分自身の行動に関する変化』が適切だとされています。それは例えば睡眠・食事・運動などの生活習慣の改善、他者とのコミュニケーション量の増加、日常から離れた娯楽などが代表的な緩和策です。

 なぜこれらが謳われているかも単純な話で、最も即効性のあるためです。

 第一に、何かしらの変化が無ければストレスや問題から受けている悪影響を変えることはできません。何もしなければ何も変わりませんし、「時間が解決してくれる」物事は多々あれど目先のストレスや問題を緩和するためには時間を掛けている場合ではありませんので、とにかく喫緊の変化が必要です。

 第二に、自分自身の行動以外は変化させることに時間が掛かります。メンタルや思想信条を変化させるにはそれ相応の手順と訓練が必要であり、他者の行動や精神を変えることはさらに難しく現実的ではありません。それらに対して自分自身の行動であれば今すぐにでも変えることができます。

 そのため自分自身の行動に関する変化こそが最も現実的なものとして推奨されています。

 

 とはいえ人間には恒常性や保守性があり、変化を好まない気持ちは誰しもある程度持っているものです。急に行動を変化させようとしても上手く行かない場合もあります。

 それを避けるためにも何かしらの変化を習慣化しておくことが無難です。

 毎日のルーティンをあえて外す習慣、日常の何かしらを変化させることが常態化していれば変化させること自体が恒常的な状態となりますし、日々何かしらを変えて比較評価していればどう変化させることでどう良し悪しが変わるかも傾向を掴めます。

 要するに慣れです。

 変化は慣れていないと上手くできませんので、少しずつトレーニングしておくと楽になります。

 

結言

 つまるところ、何も変えなければ何も変わらない、そんな当たり前の話です。

 変えることには慣れが必要ですので、毎日少しずつ練習していきましょう。