忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

忙しさは単純に時間では測れない

 

 個人的な感覚ですが、忙しさには二種類あると思っています。

 一つは”長さ”による忙しさです。仕事に従事する時間の幅であり、これが長ければ長いほど当然ながら人は忙しさを感じます。

 もう一つは""による忙しさです。あれもこれもと多数のタスクを抱え込んでいる場合、人は多忙を感じます。

 

忙しさの重さ

 今の私は圧倒的なまでに後者の忙しさを感じています。本社へ異動してから労働時間はむしろ短くなりましたが、以前よりも遥かに多忙さを感じるばかりです。

 昨年まで事業所で設計をしていた頃は、もちろん多数の仕事を抱えてはいましたが基本的にはコントローラブルでした。私が設計して、私が手配して、私が調整して、などなど全てを自分の掌中でコントロールすることを求められる代わりに自分で自分自身とタスクをマネジメントできたため、どれだけ多数のタスクを抱えていようともその並べ替えを自分で管理できており、量的な忙しさはそこまで感じていませんでした。

 現在は本社に居て、ポジションとしてはプロジェクトマネジメントです。ただし管理するプロジェクトは多岐かつ多数に渡り、商品の企画開発からイベントの管理までプロジェクト単位で動いているものは手あたり次第扱います。会社全体を把握していてプロジェクトマネジメントを担当できる部署が他にないため、まさしく何でも屋の様相です。

 そのせいかあれもこれもと多種多様なタスクを無数に抱えこんでいるうえ、その進捗を自らコントロールすることができません。それぞれの専門部署へ依頼してその進捗をマネジメントすることだけが求められます。

 よって常に複数の仕事をハンドリングしつつ頭の中でも留意しておくことを求められるため、常に仕事へ追われている気分です。直接的な”長さ”は減ったものの、まさしく”量”的な負担の重さを感じています。

 

再びの経験

 自分の手足を動かして物事を進めていた頃は楽だったと、昔感じた思いをなんとも再び感じるばかりです。

 会社に技術職として入社してしばらくは教育がてら下働き的な仕事をしていました。試作品の試験をしたり、データを測定・整理したりといった仕事です。

 これは恐らくどこの技術職も同様でしょう。現場で現物を持って色々と数値を見つつやってみなければ現実に沿った設計などできませんので、それ自体に異論はありません。

 ただ、当時は夜遅くまで試験室で手足を動かして試験をしている自分たち若手よりも事務所でPCの前に座って設計の仕事をしているおじさん達のほうが楽な仕事をしていると感じたものです。

 その誤解は自分が年を経て事務所に座ってすぐに晴れました。

 自らが書いた図面で物事が進んでいくこと、その図面に対する周囲への責任の重さを考えれば、ただ手足を動かしていればよかった頃のほうがよほど心労を感じることもなく楽なものでした。福澤翁が『学問のすすめ』で述べたように、「すべて心を用い、心配する仕事はむずかしくして、手足を用うる力役はやすし」です。人にもよるでしょうが、大抵の人は肉体的な負荷よりもよほど精神的な負荷のほうが負担を感じます。

 

 現在、まったく同じ思いをしています。

 設計屋の頃よりもさらに幅広くなった責任と管理対象の範囲、より遠くなった実務的業務、人に頼んで人に動いてもらい、その結果の責任を取ることへの負担。

 それこそ製品開発に関しても企画が適切に行われなければ開発に要した全てのリソースが無駄になり、場合によっては致命的な損失を与えることすらあります。その責任はやはり私たち企画に帰することでしょう。かつて手足を動かすことが一番大変だと思い込んでいた若造の誤解と同様に、ただ設計をしていれば良かった頃は楽だったのだと今思い知っています。

 私はまだ下っ端ですので最終的な責任を問われることはありませんが、管理職の人はもっと大変だろうなと思うと感服するばかりです。

 

結言

 いつまでも下っ端の椅子に座っていては若者の邪魔になるばかりであり、いずれはポジションを上がって行かざるを得ませんので、これもまた多くの人が通る道なのだと思います。実に大変で心労を感じますが、まだ部署異動をして一年も経っていませんので、もう少し頑張ってみます。