忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

「やるからには楽しめ」と「平静の祈り」

 

 人によっては楽しい行為だが、自分にとってはむしろ負担。

 そんなことは事例を出すまでもなく山ほどあります。誰もが同じ価値基準や趣味嗜好を持っているわけではない以上、むしろ当たり前のことでしょう。

 「すべての幸せな家庭は似ている。不幸な家庭は、それぞれ異なる理由で不幸である。」としたアンナ・カレーニナの法則は現代の多様化した社会を反映しておらず、実際にはすべての幸せな家庭は似ていないものです。

 

 自分が良いと考える単一の幸福を絶対視する行為は、非常に思想統制的で、独善的な結果をもたらします。個人のレベルであれば人間関係の不和程度で済みますが、社会全体がそうなると非常に大きなリスクです。宗教社会や全体主義社会の崩壊は大抵、これが一因と言えます。

 

 何が言いたいかというと、最近ちょっと自分にとって楽しくないことをしているので、ちょっと抑うつ気味なだけです。

 仕事も相変わらず忙しいどころかもはや潰れているレベルですので、もうどうにもなりません。困ったものです。現実逃避が必要でしょう。

 唐突ですが、要するにニーバーの祈りは様々な人が引用して利活用しているのも納得の至言だと思います。

 変えられないものを平静に受け入れる恵みと、変えるべきものを変える勇気と、そしてそれらを区別する知恵は個人にとって重要です。負担感を感じるタスク、幸福を感じられないアクションを受け入れるべきか自身を変えるべきか、その区別こそが肝要となります。

 とりあえず今負担を感じているタスクを受け入れることは難しそうなので、受け入れられるように自分を変えていかねばなりません。

 今の状況について相談した人からこう言われました。

 「やるからには楽しめ」

 その通りでしょう。

 

平静の祈りに関する雑談

 さて、日本では「二ーバーの祈り」「平静の祈り」として有名なSerenity Prayerですが、非常に含蓄のある素晴らしい至言で長い歴史を持っているように感じるものの、実際は1930年代初頭にラインホールド・ニーバーによって編纂された意外と最近の言葉です。まだ100年経っていないのですから、金言の中でも新参者の部類に入るでしょう。

 

 名言は様々な人が手を加えるため様々なバージョンが生まれるものですが、一番メジャーな原案は以下のようです。

God, give me grace to accept with serenity the things that cannot be changed,
Courage to change the things which should be changed,
and the Wisdom to distinguish the one from the other.

神よ、変えられないものを平静に受け入れる恵みと、

変えるべきものを変える勇気と、

そしてそれらを区別する知恵を私に与えてください。

 

 これ以降も続くバージョンがあるものの、それは後付けで、あまり二ーバー的ではないと評されています。

Living one day at a time,
Enjoying one moment at a time,
Accepting hardship as a pathway to peace,
Taking, as He did,
This sinful world as it is,
Not as I would have it,
Trusting that He will make all things right,
If I surrender to His will,
That I may be reasonably happy in this life,
And supremely happy with Him forever in the next.

Amen.

一日一日を生き、
一瞬一瞬を味わい、
苦難を平和への道として受け入れ、
主がそうされたように、
罪に満ちたこの世界を、
自分の思い通りではなく、あるがままに受けとめ、
もし私が御心に身をゆだねるなら、
主がすべてを正しくしてくださると信じ、
この世ではそれなりに幸せであり、
来るべき世では主と共に永遠に最高の幸せを得られますように。

アーメン。

 

 二ーバー自身が神学者ですし、平静の祈りはキリスト教系の団体が広めたことも理由ではあるのでしょうが、キリスト教の色が強くなっていることが分かるかと思います。

 

結言

 特に着地点を考えていない雑談でした。

 「やるからには楽しめ」と言われて、そりゃそうだなと納得した際、頭に浮かんだのが「二ーバーの祈り」だった、それだけの話です。