忘れん坊の外部記憶域

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民主主義は脆弱である~文明の形態変化

 古い論説ですが、1957年に出版された梅棹忠夫氏による「文明の生態史観」では政治形態が民主制に到達するにはいくつかの形態を経る必要があることを地域性を基準として述べています。本書による考察はユーラシア大陸とその周辺を主軸としていて北米や南米、アフリカなどを入れていないこと、また海洋交通を考慮していないことなどから様々な反論がありましたが、東洋(途上国)・西洋(先進国)として世界を解釈していた当時に日本が欧米のように先進国になることができたのはなぜかを新しい視点で説明した本書は社会学・歴史学に大きな影響を与えました。

 「文明の生態史観」を参考に、文明や社会の変化を考察してみましょう。

文明・社会の形態変化

 まず人類の社会集団は小さな村の形成から始まります。村社会での意思決定は合議制の場合が多いですが、村の規模が大きくなると集団の運営効率を上げるために権力集中的なリーダーを主軸とした専制政治(独裁制)へと発展していきます。

 さらに集団の規模が大きくなると権力者1人では集団全てを統括できなくなることから、所領を分割し権力を分譲して封建政治へと変化します。欧州でいえば貴族や騎士、日本でいえば公家や武士が該当します。

 封建政治では権力が分譲されていることから諸王や民衆が資本を蓄えられるようになり、資本家(ブルジョア)が発生します。資本家の数が増えるにつれてその社会集団における資本家の発言力が高まっていきますが、それによって宗教革命や海外貿易、自由都市の発展や農民戦争(一揆)が発生するようになります。

 自由都市や貿易による経済発展、革命や農民戦争による所得再分配によってさらに権力と資本が広く分散していくと封建制度での変化と同様に民衆の発言力が高まっていき、最終的には最大権力を持つ民衆が決定権を持つ民主政治へと移行します。つまり民主政治が成立するためには専制→封建→民主という経路を辿って民衆に資本力を蓄える必要があります。

 このような視点で見ると、日本が明治維新によって民主化できたのは封建制による江戸時代に豪商のようなブルジョワが育っており、民主政治への土台が整っていたからだということが分かります。 また中国が資本主義を導入しても民主化しないのは同様の理由で、共産党一党独裁による専制政治であり封建制を経ていないからです。封建制によって国内の中産階級が育たないと民衆の発言力は高まりません。

 以上より、政治の主軸である独裁⇔民主においては民主制のほうが成り立つのが難しい制度であることが分かります。

民主制は強いわけではない

 しかしながら民主制は強いから生き残ってきたのではなく、地理的な都合で侵略されずに済んだだけです。民主主義指数を見ると分かるのですが、民主主義国家として成り立っているのはユーラシア大陸の端や近隣の島国、民主主義国家からの移民によって出来た国のみです。ユーラシア大陸の中央付近では戦争や遊牧民の襲撃によって国家が長期的に生存できなかったため、多くは非民主主義国家であり続けています。

民主主義指数 - Wikipedia

 実のところ民主制はかなり脆弱な仕組みです。独裁制に比べれば資本力が段違いなため一見戦争に強く見えますが、ナチスドイツのように内から民主制が崩壊することがあります。中国が行っているような超限戦、すなわち議員を買収して中国のために工作活動をさせたり、大量の移民を送り込んで中国に有利な議員を多数決で擁立するといった外部からの攻撃にも強くはありません。私たちのような民衆が自由に生活するための民主主義は、守る努力をしなければあっさりと消え去ってしまう砂上の楼閣であることを忘れてはいけないでしょう。

脆弱な民主制をどうすべきか

 独裁と民主の差異については過去の記事でも書いています。 

 民主主義にも多数の欠点があることは否定できません。単純な効率・意思決定速度であれば賢者による独裁が最も優れています。しかしそれでも民主主義には守るべき価値があると強く信じています。これはある種の妄執でしょうし、何かを頑なに信じることは信仰と同義です。ただそれでも私は民主主義の恩恵を受けて生きてきた一人の人間として、民主主義を価値あるものだと思い続けていきます。