忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

人はどのように寛容さを得るのか

 以前の記事で寛容について述べた際は

異なる意見・宗教・民族等に対して一定の理解を示し、許容する態度

と定義して述べましたが、今回は少し幅広く寛容を定義して、

「他者の受容」

という敷居で考えてみたいと思います。

寛容はどのように得られるのか

 人は生まれてすぐでは寛容でも非寛容でもありません。そもそも自我が明確に形成されるまでは自他の認識が無いためです。意識の発達は一般に、乳幼児期における家庭内において自己意識が発達し、幼稚園や保育所といった社会集団に所属して初めて他者の存在や視点に気付く、つまり客観性を得て他者の意識を理解し、自己意識を調整する過程を経ます。

 この段階において寛容が成育されるのは自己の主張と抑制のバランスが調和されている場合となります。自己主張が過大でありそれが許される環境であれば他者を受容する必要が無くなり、寛容の心は育ちにくくなります。同様に自己抑制が過大である場合は自己主張ができなくなります。その状態は他者の存在を受け止めている「受容」とは言えず、ただ流されているだけです。

 すなわち寛容の心を得るには以下の環境が必要だといえます。

  • 他者との関係性がある環境にいること
  • 比較による優劣を示す環境ではないこと(協調、協同)
  • 感情の主張、共感、葛藤がもたらされる環境であること

 これらの環境が整っていることで、他者の存在を認知し、自己を主張しつつも必要に応じて他者を受容することができる寛容の心が育成され得ます。

青年期以降の変革について

 寛容の心を育むには乳幼児期や学童期における環境が重要だと述べましたが、青年期以降でも寛容の心が育まれることはあります。歳を取って丸くなる人や子供ができて平穏な性格になる人など事例は様々あるでしょう。

  これらの変革は前述した寛容の心を育む環境によって同様に説明が可能です。

  • 他者との関係性の構築

 少ない事例ではありますが、他者との関係性を幼少期に構築できなかった環境にいた人は前提となる自己意識と他者の認知に生育の余地が残ることとなります。その場合は社会集団に属することで他者を学び寛容が育まれる可能性が残ります。但し野生児(動物に育てられた子供)の希少な記録や事例より、人間の精神的発達は幼少期が最も重要であり、それらを後に矯正するのは困難であるとはされています。

  • 過大な自己主張の制限

  幼少期に過大な自己主張が許された環境で育った場合においても、自己主張ができない環境に置かれることで自己主張が抑制されて寛容へと至ることがあります。部活動や上司部下など社会集団での上下関係による抑制が典型例といえるでしょう。但しこの場合は社会集団において上の立場に立った際、抑圧から解放されて自儘に振舞う可能性も残されます。

  • 過大な自己抑制からの解放

  自己肯定感、すなわち客観性を伴った優越感が育まれておらずに自己抑制が強い場合は、成功体験を得ることで自己意識を肯定して他者を受容できるようになります。成功によって他者に受容される経験は大きな喜びであり、喜びをさらに得たい、拡散したいという気持ちからより積極的な寛容の心を持つこともあるでしょう。客観性を伴った優越感は慈愛とも表現できる感情です。この過程を経た人は他者に優しい愛のある人になると考えられます。

  • 優劣による関係性の解消

  他者との比較優劣によって関係性を構築した場合、客観性を伴わない直接的な優越感・劣等感によって他者を分類することになります。誰々のほうが勉強ができる、誰々よりも私は足が速い、というような他者の見方です。それが過ぎると他者の優位を下げるために他者を貶めたり、劣位にあると考える人にマウントを取るような態度を取ってしまうことになります。この場合は教育や経験によって客観性を得ることで解決がなされます。客観性を伴った優越感は慈愛に転じ、客観性を伴った劣等感は尊敬に転じます。客観性を持つ人に出会う経験が最も効果的に客観性を得ることに繋がるでしょう。

  • 感情の主張、共感、葛藤の経験

 自己の主張と抑制のバランスが調和されていない最大の原因は周囲の環境です。周囲の環境が変化することでバランスが調和することが多々あります。最も顕著な例は恋愛や育児でしょうか。新たな感情の共感や葛藤を否応なく経験することとなり、主張と抑制のバランスに変革がもたらされます。

終わりに

 寛容・不寛容は心の問題であり、押し付けるべきものではありません。相手の心を意のままに操ろうというのは少し傲慢な考えでしょう。ただ私は寛容な社会・人々のほうが最終的には良い世界になると考えるため、寛容であるほうが望ましいとは思っています。

 寛容を得る方法に即効性のあるものはありません。他者を強制的に寛容にしようとするのは不寛容の所業です。不寛容を解くには直接的な説教や教育といった強制力ではなく環境を整える必要があります。