だから週5日8時間労働は余裕だ、甘えんな、とか言いたいわけではないです。労働時間は短いほうが効率的ですし、お休みは多い方がそりゃ皆ハッピーなわけですよ。そもそも人類が仕組みを作ったり装置を作ったりして文明を発展させてきた目的は効率的に必要物資を生産して余裕を作ること、つまり生存を安定させて余暇をたくさん作ることが目的です。なので「労働時間を減らそうぜ」というのは人類共通の願望と言えます。
ただ物事は比較して評価すべきだという私の信念上、「労働時間が多い」という課題提起に対しては主観的な個人の気持ちとしての多寡ではなく何と比較して多いと考えているのかを数値で見るべきだと思っています。主観で考えれば労働時間はゼロが理想だという人が多数いるでしょう。しかしそうなると労働時間の議論ではなく労働そのものの要否を問うテーマになってしまいます。そちらはそちらで面白いので別の記事にするとして、今回は労働時間の多寡について書きましょう。
過去の労働時間
厚生労働省が発表する毎月勤労統計調査から見ると労働者1人の平均年間総実労働時間は年々減少傾向にあります。
昭和30年:2356時間
昭和40年:2312時間
昭和50年:2077時間
昭和60年:2112時間
平成元年:2076時間
平成10年:1868時間
平成20年:1813時間
令和元年:1669時間
昔に比べれば労働時間は減っています。もちろん労働の質自体の変化や速度の変化などその他要因はありますので昔よりも楽になっているとは決して言えませんが、単純に時間だけ比較すれば減っていることは事実です。
さらに昔に遡ると、1911年(明治44年)に日本で初めて労働者を保護する法律として制定された工場法では少年・女性の就業時間の限度を12時間と定められました。この法律には抜け道が多く徹底されなかったという記録がありますが、そもそもこの法律が制定されるまでは少年や女性であっても12時間以上働かせるのが当然だったということです。当時重工業で働いていた男性労働者は13~16時間労働を行っており、さらに労働環境の悪い中小企業の製糸女工に至っては16~17時間労働が稀では無かったという記録もあります。昭和のモーレツ社員も驚きの労働時間です。
さらに時代を遡り江戸時代、国民の8~9割が農民であったこの時代ではそもそも休日自体が少なく、平均休日数は70~80日程度でした。詳細な労働時間は記録されていません。しかし現代の専業農家の労働時間は年間2600~2800時間ですので、当時の農民は多くの現代人よりも長時間労働をしていたことが推定できます。
労働時間はもっと短くしたいが・・・
昔と比べてみた限り、現代の週5日8時間労働は決して長いとは言えないでしょう。とはいえ以前の記事でも書いたように精神面における現代の労働強度は過去の比ではありません。心の病が社会問題化しているのは現代人が軟弱になったのではなく気力の消費量が半端なく増加していることが原因です。
私たち人類はより良く生きることを目的として社会を形成している以上、労働時間をもっともっと減らしていくことを社会全体で指向すべきであることは疑いようがありません。
ここで課題となるのがビジネスのグローバル化です。通信や物流の発展によりグローバル化が進んだ事によって世界中の物品だけでなく労働力にもアクセスが容易になったことから、現代では人件費が安い地域で物品の生産を行うことが主流になっています。そうなると他の地域では高価格でも商売できるブランド戦略を取る必要が出てきますが、それができない商売や地域では人件費のディスカウント、すなわち労働力の安売りを行い、下がった分の給金を長時間労働で補うような方法を取ることになります。
これはあまり望ましくない状況です。安い側に合わせるというのは全体が豊かになるのではなく全体が貧乏になる方向ですし、それでは労働時間の短縮に繋がりません。地産地消を推し進めたいところですがそうなると安価なところで生産している企業に市場で負けてしまい商売が続けられなくなります。
将来的には生産能力のさらなる向上や諸地域の発展によって徐々に格差は縮小されていき全体的に裕福な時代が訪れることとは思いますが、グローバル化による目先の課題を解決するのは大変に難しいと言えるでしょう。自由市場に介入するという手もありますが、統制経済はまあ・・・歴史的に見て様々な失敗事例がありますので・・・うーん、とても難しい問題です。助けて経済学者の先生!