忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

好きなブログを紹介したい欲

 過去にも書いたのですが、好きなブログを紹介したいという謎の欲求があります。そんな謎欲求が最近日に日に強まっている気がする今日この頃。

 この駄ブログは私が学んだことや興味を持ったことを書き散らしているブログであり、つまりは私が「好き」だと思ったことをコネコネとまとめてつらつらと述べるブログです。そんなブログを数か月続けてきた中で他所様のブログをたくさん読んできたため、好きだと思うブログもたくさん見つかっています。そう、好きなものを書くブログな以上、好きなブログについて書きたくなるのも仕方がないのです。うん、実にロジカルな帰結です。・・・ロジカルですよね?

泥棒感

 ここで心理的な障壁として立ちはだかるのは心の中に住んでいるもう一人の私の声、ではなくコンテンツに関する捉え方です。もう一人の私なんて居ません。

 世の中には人の発信した情報をまとめるキュレーションサイトがありますが、そういったサイトの付加価値は「必要な情報を整理し」「拡散力を持って再発信する」ことにあります。そういった付加価値を付与できないこの駄ブログで人様の情報を発信するというのはもはやただのコンテンツ泥棒ではないかと私は個人的に思っているのです。気にし過ぎなところもありますが、文章を書いてネット上にアップロードする以上剽窃には多少敏感なくらいがいいかなとも思っているため、この考え方はなかなか改善の余地が無さそうです。

 もちろん逆に考えれば、別に逆でも無いですが、大したアクセスも無い場末の当ブログで好き勝手人様のブログを取り上げることは何の影響力も無い以上何の支障も無いとも言えます。いや、でもさー、というこの葛藤、一体誰と共有すればいいのか、そうだブログに書いてみよう、というのが今回の記事です。ろくでもない理由の記事ですね。

好きとは差別

 過去の記事でも少し述べていますが、何かを愛したり好んだりするポジティブなことも差別に該当すると私は考えています。これは悪いとかそういう意味ではなく、言葉の使い方としてです。

 愛における差別の話として思い出すのは鬼子母神です。自らの子を育てるために人間の子を捕らえて食べていた彼女は、明確に自らの子と人間の子を差別しています。しかしそれこそは親の愛ゆえであり、絶対的に否定できるものであるかと言われれば難しいものです。むしろ自らの子と他人の子を同様に扱えるような親が居たら少し恐怖を覚えるかもしれません。

 そんなわけで、私が例えばいくつかのブログが好きだと紹介したとしましょう。そうなると紹介されなかったブログの人はこう思うかもしれません。「なんやお前毎日読んでスター置いてってるのにワシのブログが好きじゃなかったんかい!」

 そこまで気にするわけないやろ自意識過剰ちゃうんか、と心の中でもう一人の私がツッコミを入れています。もう一人の私さん、存在したんですね。

 そう、誰かを紹介するということは誰かを紹介しないということです。それは相対的にはマイナス方向であり、好きを表明することは嫌いを表明することと同じだと受け取られる可能性があるのです。こうして私は博愛主義者の八方美人に堕ちていくのだと分かってはいますが、気にしいなのでつい頭の片隅で考えてしまいます。

 当ブログでは「好き」を語りつつも、その対称となる対象を嫌いではないこと、貶めたり非難しているわけではないことを気を付けて書いています。書けています?それは読んだ人次第ですのでなんとも。

好きの種類が違うから紹介が難しい

 好きにも種類があります。この文体いいな、こういうブログスタイルが好きだな、いつも良い写真や絵を上げていて凄いな、面白い発想だ、良い情報を紹介してくれる、と様々です。当たり前なのですが私が読者登録させてもらっているブログは私が好きで継続的に読みたいと思ったブログですので、どこかしらに何かの好きがあるわけです。よって好きを紹介しようと思ったらこれらの好きを細分化してどう好きかを個別に挙げないとややこしくなるわけです。そんな複雑なことをしていたら最終的には全部のブログを紹介する流れになりますし、どこかに"隙"が出てとてもリ"スキ"ーです。ここボケる流れだった?

結論

 そういった諸々を考えているせいで、紹介したい私と紹介すべきじゃない私が頭の中でステゴロを始めてしまい手が止まるという状況です。私は頭の中に何人居るんだ。

 もう少し考えが整理できたら、というか欲求が勝ったら書くかもしれません。どうなることやら。ファンです、サインください!くらいの気持ちになれれば気楽なのですが。