忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

「やってる感」の好き嫌いは相容れない

 価値観の違いでもう絶対に折り合いが付かないことの一つに、「やってる感」の好き嫌いがあると思っています。基本的には機会主義者かつ相対主義者として双方の意見を尊重したいと思っている私ですが、今回は「やってる感」をあまり好まない側の見解を少し述べます。少し厳しい表現を含みますのでご承知願います。

 

「感」よりも「実際」のほうが好み

 先日、海外の記事ですが、1週間脱プラスチック生活という内容の記事を読みました。プラスチックによる海洋汚染を解決するには日常的に用いるプラスチックを減らすべきだという趣旨で、自宅にあるプラスチック製品を出来る限り廃棄して、新しく購入するものも出来る限りプラスチックを使っていないものを買って1週間過ごすというチャレンジでした。

 結論としては「現在の市場ではプラスチックを使わないのは無理だけども減らすことは可能、皆が意識を持って行動することが大切」というような内容だったと思います。さらっと読んだので元記事が見つからなくなってしまい記憶が曖昧なのが申し訳無いですが、そのような内容でした。

 個人的にはこのようなやってる感、つまり意識や意志力に頼る方向はあまり好みではないです。もちろん意識することは必要ですし意識的な購買行動が企業側にも行動変容をもたらすという理屈は分かるのですが、では意識すれば問題が解決するかと言われたらそうではないと思うからです。意識は入口としては必要ですが、それに頼ることはまた別の話です。問題の解決には具体的な効果が必要なのですから。実際に元記事でも「本当にプラスチックを無くすのであればまずはこの記事を書いているパソコンを捨てないといけないよね」と、意思では限界があるという見解でした。

 プラスチックは軽量高強度という優れた機械的特性があります。また錆や腐食に強く、さらには密閉性も高いため食品包装に使えば保存可能時間を延ばすこともできます。

 プラスチックを無理に減らすとモノの重量が増えて電気代や輸送に使うガソリンの消費量が上がりますし、機器の製品寿命が短くなって環境負荷が増えますし、食品ロスは増えますし、とあまり良いことは無いような気がします。様々な利点があるのですから、無理に減らすことよりも海洋流出を避けるためにプラスチックゴミの出し方や捕まえ方にコストを掛けたほうが効率的かつ合理的なのではないかと思っています。

 つまるところ、困難を意識や意思の力で乗り越えて進めようとするよりも、合理的に困難を無くすことを目指して、意識しなくても物事が改善する方向に進めたほうが良いと思うのです。どれだけ意思が強かろうとも無理なことは長続きしませんし、万人に強い意志を持つことを強要するのは無理筋です。

 

その他の事例でも同様

 化石燃料関係に関しても同じように考えています。電気代を数倍払ってでも再生可能エネルギーの比率を増やすんだ、というのはやってる感の最たるもので、確かに支出は増えて自然に貢献している気分には浸れるかもしれません。しかし電力バックアップのために同容量の化石燃料による発電所を新設する必要があることを考えると効果的ではないと考えます。やってる感はそれが本当に環境に良いかという科学的判断と実際の効果を覆い隠してしまうような気がしてならないのです。

 それよりも現時点で無理な容量追加をするのではなく、再生可能エネルギーが化石燃料よりも安価になるように研究開発へお金を注いだほうが良いのではないでしょうか。そうなれば意識して無理をしなくても企業や個人は化石燃料なんか使わなくなり、経済性に優れた再生可能エネルギーを自然と購入するでしょう。

 仕事でも同様です。長時間働いて努力して頑張ってやってる感を感じるよりも、さらっと片手間に片付けられるような仕組みを作ったほうが良いと考えます。たくさん会議をして仕事をした感を味わうよりも少ない会議で合意形成が出来たほうが効率的ですし、何時間も掛けて手計算をした資料よりもデータを流し込んで一瞬で計算できるようにして作った資料のほうが楽で無理がなく、心に優しいと思うのです。

 

やってる感の正体である達成感の怖さ

 やってる感の怖いところはそれが実際に効果的であるかは問わずに、困難を乗り越えたという達成感を得られてしまうことです。確かに達成感を得ることは気持ちがいいものです。それは脳内でドーパミンが分泌されるからです。しかしそのドーパミンを得ることが目的になっては本末転倒です。

 プラスチックによる海洋汚染の話に戻りましょう。目的はプラスチックで汚染された海洋を改質することであり、具体的な手段としては海洋流出するプラスチックを減らすこと、そして流出したプラスチックを回収することであるはずです。日常的に使うプラスチックを減らすことは効果的なものとは言えません。メーカーは別の製品に原材料であるナフサを転用するだけであり、プラスチックの総量は減らないからです。

 達成感は具体的な問題解決に繋がらないにも関わらず満足感をもたらします。本人の気分は良いかもしれませんが、それだけです。

 ようはビニール袋を減らすためと言ってそれよりも環境負荷の遥かに高い変なエコバックを買ってしまう人が出てしまうところがやってる感の課題だと思っています。やってる感がもたらす気持ちよさは容易に目的と手段を混同させてしまいます。

 参考までに、海洋にプラスチックを流出させている量は中国や東南アジアが上位を占めています。これは「環境のために」とリサイクル用に収集された「欧州のプラスチックごみ」が、採算が取れないためリサイクルされずに中国や東南アジアに「売却」され、そこの買取業者が海に捨てたり適当に埋め立てた結果、海洋に流出しているためです。欧州のプラスチックリサイクルをやってる感が海洋プラスチック問題の大きな原因になっていると言えます。

 

結語

「実際に効果があるかどうかではなく、一人一人が意識して行動することが重要なんです」と人に言われたことがあり、その良否についてずっと悩んでいます。個人的には実際に効果があることをやったほうが良いような気がしますし、無理に意識するよりも自然体で出来るような仕組みを作ったほうが楽な気がするのですが。

 とはいえやってる感が好きな人に対してそれを止めるよう強制することは出来ません。感情と合理性のどちらを重視するかは人それぞれだからです。だからこそ相容れないのですが。なんとも難しい問題です。

 

余談

 この話は目標や夢にも適用可能な少し怖い話です。

 目標や夢を達成するためには小さな目標に分割して細かく達成していきましょう、というのが目標設定の主流です。しかし小さな目標をどんどん達成していくと達成感そのものの快楽に負けてしまい目的がすり替わる危険があります。

 例えば良い生活をするために収入を増やしたいと考えて行動していた人が、いつの間にか徐々に増える収入こそが楽しみになり、お金を稼ぐこと自体が目的となって体を壊してしまい生活の質が落ちる、という風にです。

 もちろん大きな目標を達成するにはスモールステップの概念が必須ではありますが、達成感の魔力には気を付けなければいけません。