忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

分断されているのは心ではなく、もっと物質的なもの

 

 アメリカ社会を筆頭に、近年では政治的・社会的・文化的な分断が社会問題だとされています。

 私のように歴史が好きな人間は時間スケールの捉え方が狂っていますので、「かつての貴族・農奴の封建社会辺りと比べれば現代の分断は遥かにマシではないか」なんてどうでもいいことを思っていますが、とはいえこれは相対的に高低を比較するような問題ではなく当事者である人々にとってそれが絶対的に問題かどうかで判定するべきものですので、間違いなく妥当な問題提起だと言えるでしょう。

 

 ただ、では分断とはどんなもので、どうイメージをして、どう対処をすればいいのでしょうか。

 

何が分断されているのか

 メディアやSNSで語られる分断の多くは主義主張や思想信条に関するものです。分断は政治的・社会的・文化的な文脈で語られています。厳密に分析したわけではないので憶測ではありますが、経済のように物質的な差異は格差と表現されることが多く、政治や思想のように格差では説明が困難なものに分断の言葉が当てられていると私は思っています。

 言い換えれば、主義主張や思想信条を共にしていない、すなわち同じ集団の一員であるとした連帯感や紐帯が損なわれていることが分断です。

 

 分断とは精神世界の話だと定義しましたが、その延長として分断の原因を精神世界の距離が開いたことだと捉えると、その対処法は「対話」や「癒し」を筆頭に精神的な療法を選択することになるでしょう。

 ただ、それは適切な対処ではないと考えます。

 心が物質の差異を生み出すことはあり得ず、物質が心の差異を生み出すためです。

 厳しい戒律を持つ一神教が過酷な自然環境の地域で発展し、緩やかな繋がりをもたらす多神教が豊かな自然環境を持つ地域で発展したように、心の差異は物質的な差異から生じます

 環境や所有物といった物質的なものに差異があるから精神的な差異が生じる、この認識はとても重要です。それこそ中世の貴族と農奴が同じ精神世界を共有し得ないように、物質的な差異は明確に精神的な差異を生み出すことは理解が容易かと思います。

 

 つまり現代の分断は何かしらの精神的な差異が直接的な原因ではなく、物質的なものが致命的なまでに乖離してしまっていることが原因です。そういった物質的な差異が精神的な分断を生み出しています。

 よって分断を解消するためには対話のような精神世界での対処はあまり効果的ではないどころか、実質的にはさほど意味を持たないでしょう。

 必要なのは物質的対策に他なりません

 カズオ・イシグロが言うところの「横の旅行」に意味があるのはまさにこの物質的な差異の認識、簡単に言ってしまえば肌触りです。物質的な肌触りの違いを感じなければ分断を乗り越えることは決してできません。百聞は一見に如かずと言うように、その肌触りは対話や勉強だけではどうしても埋まらないものだと私は考えます。

 

 食事一つとってもそうです。

 選挙運動中にマクドナルドでアルバイト体験をして中流以下の人々と触れ合う、明らかに富裕層に属するアメリカ大統領選挙の候補者。

 それはあまりにも露骨なただのパフォーマンスであり、その意図を察せない人はいないでしょう。

 しかしこのパフォーマンスは正しく効果的です。

 富裕層と貧困層が絶対的なまでに分断されている社会、まったく別々の区画に住み、互いに知らない店へ行き、異なる食事をしている人々が同じ精神世界を共有できるはずもありません。特にアメリカではそのレベルの物理的な隔絶が生じているため、あれだけ社会を明確に二分してしまっているのでしょう。

 そんな中で、極めてワザとらしくあったとしても「同じ店で、同じモノを食べる」行為は分断された溝を正しく埋める効果をもたらします。

 「こいつはオレたちと同じモノを食べている

 これはとても重い意味を持っており、ただのパフォーマンスで、しかし実際的に分断の解消へと繋がる、意味のあるパフォーマンスです。

 もちろん候補者当人が考えたのか頭の良いブレーンが考えたのかは分かりませんが、ああいったパフォーマンスを馬鹿にするようでは分断は解消できません。あれこそが分断の解消に適した一歩だと認識すべきです。

 

結言

 幸い日本ではまだアメリカほどの分断は起きていません。

 もちろん富裕層向けの店と貧困層向けの店は物理的に分かれているものの、

「テレビで見るあの金持ちは、きっと毎日高い店で良いものを食べているだろうが、もしかしたらオレたちと同じように牛丼屋やコンビニ弁当を食べることがあるかもしれない」

とした、同じ集団の一員としての親近感、物理的な距離の近さが残っているためです。この紐帯が残っているうちは致命的な分断に発展することはないでしょう。

 同じモノに触れているか、同じ手触りを感じているか、そういった物理的な感触こそが集団に連帯感や紐帯を生み出す源泉であり、社会の分断はアパルトヘイトやゲーテッドコミュニティのように物理的な隔絶から始まります。

 よって分断を解消するためには対話や教育ではなくまず何よりも物質的な方法を模索する必要があります。