忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

選挙を通じていない権力者の是非

 

 論理ではなく好悪に帰結する話。

 

政治任用制度

 ここ最近見かける言説の一つに次のようなものがあります。

 「イーロン・マスクがアメリカで権力者となりつつある。選挙を通じて民衆から選ばれた政治家ではない人間が、金の力で権力を得るのはいかがなものか」

 個人的には金の力で成り上がったわけではなく経営者として成功したから成り上がったのであって、金は後から付いてきたものですし、政治の世界に招かれたのも金の力ではなく経営者としての手腕によるものだと思っていますが、まあそれは人それぞれどう解釈しても構わないでしょう。

 

 ただ、この言説によるイーロン・マスクへの批判は少し筋が悪いと思っています。

 そもそも日本ではあまりメジャーでないだけで『選挙を通じていない権力者』は一般的な存在です。特にアメリカには政治任用制度があり公務員や議員でなくとも上級公務員として政府に入ることができるため、選挙を通じて民衆から選ばれた政治家ではない人間が権力を得ることは不思議な事例ではありません。

 日本では政府高官をピラミッド型組織のポストとして捉えており、通例として国会議員や職業公務員を割り当てています。それはそれで終身雇用的でありシステムを強固にするための一つの方策ではありますが、その反面、任命される人物がその職務に精通した人物かどうかを精査する仕組みがありません。財務に詳しくない財務大臣や経済に疎い経済産業大臣が登場する余地があります。

 対してアメリカのようにその道に詳しい教授や経営者や軍人を民間から雇い入れることは「その職務に精通した人物を採用する」仕組みとして合理的です。もちろんそれは政治に疎いトンデモ人材を雇い入れるリスクがあるものの、それが社会的にある程度許容されています。

 過去にはWSJがバイデン政権の高官に民間出身者が少ないことを批判していた程度には、民間登用者が政府高官になることが一般的であるのがアメリカです。

 米民主党には近年、民間経済との隔たりが拡大するという困った傾向がある。バイデン政権の経済運営にもそれが表れている。民間での実務経験のある高官がほとんどいないことが理由の一つかもしれない。

https://jp.wsj.com/articles/bidens-hiring-policy-no-business-experience-needed-11657682979

 民間人が政府高官になることは、それが金の力であろうと経営者としての手腕であろうと関係なく、日本では一般的でないだけでアメリカでは普通のことです。イーロン・マスクが権力を得ている過程は少なくとも異常なものではありません。

 

好悪に帰結する

 ある意味で対比的な事例として、台湾のオードリー・タンと比較してみましょう。

 新型コロナウイルスの初動対応に成功した立役者として世界的に名を馳せた彼は、台湾の政府から招待される前は政治家ではなくプログラマーでありインターネット起業家でした。その専門性と能力の高さから政治家となり台湾の先進化に勤めてきた彼の経歴は、装飾を取り払えば「経営者として実績を上げた人物が民間登用で政治家になった」流れであり、イーロン・マスクとそこまで大差ありません。現在のオードリー・タンは台湾の特命全権大使であり、イーロン・マスクよりもよほどの権力者と言えます。

 よって選挙の有無によってイーロン・マスクを批判することは、少なくとも世界的な合意を得られる論理ではありません。オードリー・タンのような選挙を経ずとも政治家として認められている反証が存在するためです。

 

 要するに、イーロン・マスクへの批判は簡単な話です。政治権力の正当性に言及していようとも実際は感情の正当化であり、ただただ単純に彼が政治権力を握ることが気に入らないといった好悪に基づいています

 よってわざわざ選挙やら金やらを理由にする意味はありません。

 率直に「あいつが嫌いだから権力を握るのは気に入らない」と言ったほうがいいでしょう。

 

結言

 物事を批判する際に「この批判は個人的な感情ではなく社会的な正義である」と大義名分を持ち出して自論を装飾する方がいます。

 それは当人も気付いていない場合がありますが、自らの好悪の感情に見て見ぬふりをするため社会正義の皮を被せているだけであり、多くの場合でごまかしの類に他なりません。

 嘘や虚飾を用いることは他者から気付かれた時にマイナスが大きいので、自論を発信して人々を感化したいのであればもっと素直に発信したほうが良いでしょう。

 別に「あいつが嫌いだから権力を握るのは気に入らない」と語ること自体は問題ないのですから。