忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

朝の雑談と日付の雑談

 

 一本の記事にするには忍びない雑記の積み上げ。

 

The・雑談

偉い人「なあ、AIには詳しいか?自分で使ってるか?」

私「まあ、ボチボチです。人並み程度かと。一応メジャーどころは一通り触っていますし、ChatGPT辺りは活用してます」

偉い人「最近は現場の若手がこれで報告書を書いたりしてるようだ」

私「上手く使いこなせれば楽ですからね。自力で出来ない人が頼り切ると成長に支障が出ると思いますが、出来る人が時短のために使う分には問題ないかと」

偉い人「情報流出とかは大丈夫なのか?こう、AIの学習に入力した情報が使われたりはしないのか?」

私「もちろん流出しますので注意が必要です。学習させないような設定やプランもあります。たしか半年以上前に情シスから利用ガイドラインが発行されていたかと」

偉い人「この手の注意は使ってないうちは内容が理解できないし、使う頃には存在を忘れるから困るな」

私「難しい問題ですね、定期的にアナウンスしてもらう他ないかもしれません」

 

 これ自体は大したことない雑談ですが、「新規参入組に対してどうやって専門用語を噛み砕いて説明するか」とか「アーリーアダプターとレイトマジョリティ・ラガード間の情報格差をどう埋めるか」などを考えるちょっとしたきっかけとなりました。

 

 世の中はとても複雑で、全ての物事に精通した人はいません。誰もが何かしらのアーリーアダプターであり、別の何かのレイトマジョリティです。アンテナが高ければ偉いわけでもなく、人それぞれ別のアンテナを持っているだけに過ぎません。

 よって情報発信では様々な層に向けた多層的な構造が必要なのでしょう。

 もちろんそれにはやたらとコストが掛かりますが。

 

 そんなことを考えた始業開始1時間前。

 雑談自体は好きですが、勤務時間前はメールチェックをしたりニュースを見たりブログを書く時間に当てたいので、もっと重役出勤してくれてもよくってよ。

 

独善は国をも亡ぼす

 2月26日には二・二六事件の話題をSNSでやたら見かけました。

 当ブログでは「独善は良くない」と度々述べてきたわけですが、二・二六事件は実に分かりやすい独善の事例だと思います。

 尊皇討奸を掲げて陛下のためと奸臣を滅ぼしたつもりが逆に腹心を殺された陛下の激怒を買うことになったこの事件は、まさに相手の気持ちを推し量らずに自分たちの善を押し付けた典型例です。

 極めて辛辣なことを言いますが、「良かれと思って」は相手に不快を与えるだけに留まらず(それでもこちらの気持ちを慮ってこちらを良い気分にさせろ)と忖度するコストを追加で要求する行為であり、二重に図々しいものです。まさに独り善がりという他ありません。

 何事も押し付けは宜しくありませんので、気を付けていきましょう。

 

 こういう内容の記事は2月26日に投稿すればいいのでしょうが、自分の誕生日すら忘れる私が他の日なんて覚えている訳もなく。

 

結言

 もう一つくらい雑談を書くつもりだったのですが、何を書こうと思ったか忘れました。

 だいたい毎日そんな感じです。なんでもかんでも忘れるので困ったものです。