デジタル(離散値)な考え方は、ちょっと極端です。
アナログとデジタル
俗な意味のアナログとデジタルは、「そろばんを使うのがアナログ人間で電卓を使うのがデジタル人間」のように時代の新旧のような意味合いを持ってしまっています。
ただ、この記事ではもっと普通の意味でアナログとデジタルを用います。
アナログとは連続値のことで、デジタルとは離散値のことです。
文字通り連続値とは物事の変化を連続的に取り扱い、離散値は離散的に取り扱います。
例えば10と20を取り扱う時、連続値では10.1、10.2、10.3、10.35、10.352などなど、10と20までの間にある無限の数値も含めて取り扱います。対して離散値は10と20だけです。その間にある数値は取り扱いません。
もう少し分かりやすい事例であれば、連続値とは車のペダルやハンドルです。踏んだり回したりする時の変化は連続的で地続きに変化します。対して離散値はボタンです。ON-OFFで切り替えられるので、"少しだけON"や"気持ちOFF"などの中間はありません。
アナログ時計は1分経つ間に針が連続的に進みますが、デジタル時計は数値が飛び飛びで表示されるので1分経ったらパッと切り替わります。
とりあえずアナログとデジタルの違いに関する説明はこんなところで。
アナログ思考とデジタル思考
世の中にはアナログ思考をする人とデジタル思考をする人がいます。
この差は量で物事を判断するかで見分けることができます。
政治的な事柄であれば、物事を「敵・味方」「善・悪」で二分する人はデジタル思考です。対して「敵だがこの件では協力できる」や「悪い人だがこの行動は善である」など状況に応じて敵味方や善悪を判断する人はアナログ思考です。
健康や食品であれば、「これは発がん性があるから駄目」「これは健康に良いから食べる」と判断する人はデジタル思考です。対して「これは一日どの程度の量を食べたら発がんリスクがどの程度上がるか」「これはどのくらいの量で健康に良い効果があるか」と量を基準に判断する人はアナログ思考です。
もっと極端な例で言えば、放射性物質の放射能を考慮せず完全に拒絶したり一切気にしない人はデジタル思考です。どの程度の被ばく量かをシーベルトで判断する人はアナログ思考です。
基本的に現実はアナログです。単純な二分法的思考やタブロイド思考で区分けできるほどシンプルなものではなく、複雑でややこしく、単純化することはできません。単純化したデジタル思考では必ず情報の欠落が生じて現実を投影できなくなります。
先の例で言えば、「敵・味方」や「善悪」は実際には属人的ではなく状況によって変わるものなのでデジタルでの判別は誤りの元ですし、健康や食品も量に強く依存します。0-1で可否を判断していては塩すら摂取できません。放射性物質も同様に、完全に拒絶する人は飛行機に乗れないどころか外を歩くことすらできないでしょう。
結言
デジタル思考は脳のクセです。
普段の私たちは物事の受容や判断をアナログ的な量による判断で行っています。しかし脳が考えることを拒絶して省エネ運転をする時にはスイッチが切り替わり、単純なデジタル思考となってしまいます。
全ての物事をアナログ思考で捉えることは大変ですし現実的ではありません。時には省エネのためにデジタル思考で叩き切るような判断が必要になります。
ただ、なるべくでも世界を正しく捉えることに価値を見出すのであれば、少し大変ではありますが省エネのスイッチを切ってアナログ思考で捉えたほうが良いでしょう。
頭を使うのは大変ではありますが、必要なことです。
余談
このブログでも度々述べてきたように、私は中道を好みます。
そして極論、中道とはアナログで考えることです。
中道とは極端を避ける思想であり、極端とはまさに0-1で物事を判断するデジタル思考を指します。0-1の間にある無限の数字、0.1なり0.5なり0.33333333なり、0-1の間、極端の狭間にある最適な点を模索することが中道思想です。