忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

紛争の落としどころを模索することの巧拙

 

 日本人、というよりは、定住する集団に対する偏見。

 

喧嘩を忌避する集団

 これはデータに基づかない圧倒的な偏見なのですが、日本人はどうにも紛争の落としどころを模索することが苦手な気がします。

 基本的には争いを避けるものの、争い始めたらどちらかが打ちのめされるまで徹底的に戦う、そんな風潮です。

 別に欧米が紛争の落としどころを模索することに長けていると言いたいわけではありませんが、ロシア・ウクライナ戦争でも開戦当初からロシアへ様々な政府高官を送り込んで落としどころを模索してきた欧米とは日本は少し趣が違うというか、ウクライナへの支援はするのにロシアへの停戦交渉を積極的に行わず、むしろ交渉すら否定する言説が生じる様は、なんというか一種の苛烈さを感じます。

 本来なら、喧嘩があれば殴りかかっている側に声を掛けて止めようとするのが真っ当なやり方だと思うのですが。

 

 ド偏見を続けると、これは村社会的発想なのかもしれません。

 村社会というと誤解を招きかねないのですが、要するに「定住して集団生活を行う人々の社会」を指します。

 村社会では基本的に闘争が忌避されます。遊牧に生活基盤を頼る乾燥地帯や移住自体が容易な大陸では闘争が生起した場合でも敗者は逃避ができるのに対して、移住が困難な島や豊かな土地に定住を選択した集団では敗者の逃げ場が無いことから、そもそも闘争に繋がる不和を避けることこそが要となるためです。そのような集団では多少目に付くところがあっても争わずに見て見ぬふりをすることが美徳とされます。

 しかし度を過ぎた逸脱、集団の紐帯を引き千切り団結を阻害する要素に対しては苛烈なまでの排除を行うようになります。

 悪く言えば排他的、良く言えば人情味のある、平時は温厚だが外部からの攻撃や内部の不和を徹底的に廃絶する集団。

 それこそが村社会的な集団であり、日本はある種そのような集団の代表格だと私は考えます。

 

落としどころが苛烈

 日本に存在していたもう一つの集団として武家社会を取り上げます。

 農民的村社会とは異なり武家社会は闘争を是とする文化を持つため、争いの落としどころがはっきりしています。終戦後は責任者が腹を切る。それで概ね手打ちです。これも苛烈ではありますが、落としどころとしては明確だったと言えるでしょう。

 これも実のところは村社会的価値観の延長です。敵対勢力を廃滅していては新たに入手した定住地を管理する人員が補充できないため、上が責任を取って手打ちにすることで下を取り込むことが自然な戦略となります。

 

 日本だとこのように「そもそも闘争は避ける」「闘争する場合は大将が腹を召すまで追い詰める、あるいは殲滅する」といった非常に両極端な闘争文化が内面化されているためか、異なる文化圏の間に生じた国際紛争の落としどころを模索することには長けていないように見えます。

 それこそ欧米的な「プーチンの面目を立たせることで逃げ道を用意して終戦にこぎつける」類の策略があまり念頭にないと言いますか、日本人的な落としどころとしては「物理的とは言わないまでも社会的にプーチンが腹を切る」くらいまで苛烈なイメージを持っている人が意外と多いのではないでしょうか。

 さらに言えば、敗者は勝者に服従することが村社会的闘争の掟であり、負けても亡命政府を立てるなどして抗戦する発想が無いため、「負けたら終わり」だと考える苛烈な思考に陥っているような気がします。

 

 日本人同士であればそういった文化の合意が取れているので通じますが、国際社会でそれが通用するかと言えば、まあ正直難しいでしょう。

 

結言

 要するに、交渉下手というよりはそもそも闘争に対する文化的違いがあることを認識していないような気がします。仲介役としてはあまり向いていません。日本が国際社会の仲介役を担ったことは歴史的にも数少ないですが、なんとなく納得できます。