忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

アメリカの言い分と日本の立ち位置

 

 仁義なき国際関係にも見かけ上の仁義を。

 

アメリカの存在

 日本では日米同盟の有効性について意見が割れてきましたが、昨今のNATOやウクライナを見ればアメリカが及ぼす軍事プレゼンスには一定の効果があったと実証的に証明されたと言ってもいいでしょう。

 アメリカのような番長が居なければISISやロシアのような悪党が世界に蔓延ることとなる、なんだかんだ他国にとって迷惑であったり自分から喧嘩をふっかける事もある我儘番長ではあるが「世界の警察」としては機能していた、そういうことです。

 少なくとも現状のウクライナからアメリカが手を引いてはどうにもならないことは西側諸国で意見が一致することでしょう。これはアメリカが世界に及ぼしていた軍事プレゼンスの効果を各国が認めていることの証左です。

 

アメリカの苛立ち

 なぜアメリカがそうやって世界に手を伸ばしていたかと言えば、当然利益のためです。覇権国家としては世界が平和で自国に挑戦してくる国が居ない状態が利益になります。

 

 とはいえ、アメリカが身銭を切って世界に貢献してきたこともまた事実です。

 その貢献に対して今まで悪く言っていた各国や人々が、今ウクライナから手を引こうとしているアメリカを批判する。

 これこそがアメリカの一部の層を反発的な態度へ導いていることに気付く必要があります。

 

 アメリカからすれば、自国の利益に繋がるとはいえ海外に自国民の命と血税を投入して軍事的な貢献を果たすのは大変なことです。だからこそ経済的な限界に従いオバマ大統領以降アメリカは世界の警察としての仕事を縮小してきました。

 散々邪魔者扱いされつつも頑張って世界の警察をやってきた結果、もう無理だと音を上げるともっとちゃんとやれと世界から批判される、これは普通に考えて酷く辛辣な話ですし、「もう知ったことか、そんな綺麗事を言うなら自分たちでやれ」とキレるアメリカ人が出てくるのも当然のことです。

 トランプ大統領単独で見ると訳の分からないおじいちゃんに見えるかもしれませんが、彼の意見の方向はこのような「賞賛や報いを得られてこなかったアメリカ人の悲哀」をベースにしていると考えれば理解しやすくなると思います。

 致命的に揉めたアメリカとウクライナの2025年2月28日会談においてトランプ大統領やヴァンス副大統領がやたらと「感謝」を求めていたことも、このようなアメリカの心情が背景にあるのでしょう。

 

日本の立ち位置

 何はさておきアメリカがトップを独走する時代ではなくなり、今後は世界が多極化していくことは明白です。

 そのため、日本国内でも「アメリカに頼らず安全保障体制を構築すべき」だとした意見を主に保守派から聞きます。

 私はリアリスト寄りの思想なのでその理屈は理解できるのですが、それはちょっと非現実的で、率直に言えば仁義がないのではないかと思っています。

 

 傍から見れば、散々アメリカの安全保障に頼ってきたのにいざアメリカの勢いが無くなればそれを投げ捨てるような態度は、それこそ長い物には巻かれろ的な態度ですし国際世論からの賛同は得られません。

 国際社会は当然ながら仁義なき世界ですが、名目的には大義や仁義が不可欠です。如何に表層を綺麗に装って自国利益へ誘導するかを競う場であり、仁義を裏切る形は取らない方が無難と言えます。

 よって「アメリカはもう衰退した、これからはアメリカ抜きで自力でやるんだ」的な態度は現実的な予算が足りませんし、国際世論からの同意も得られず、確実にアメリカから不評を買うと思います。極論、「ああそうかい、分かった、じゃあもう知らねえよ」とアメリカの敵愾心を煽りかねません。

 それよりは「アメリカさん、今までありがとう、これからは手伝うぜ」であってもいいと思います。こちらであれば国際的に言い分が通りますし、アメリカの協力も得られるでしょう。

 ちなみに現在の日本は後者の立場を取っており、この混迷とした国際情勢において恐らく正着手だと私は判断します。

 

結言

 日本は仁義に拘りすぎて三国同盟を抜けられなかったりと時々致命的な判断をしがちな国ではありますが、なんだかんだ世渡りが上手い国なので今のところは上手くやっていると言っていいでしょう。意外と空気の読める子です。