忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

生産性向上は仕組みの変更によってもたらされる

 

 国家や組織の生産性に悩むのは”上”のお仕事。

 

生産性の歴史

 生産性(Productivity)の話となると、どこのメディアでも個人の手技に関する話題がほとんどを占めているように感じます。どうやって仕事を処理するか、いかにしてタスクをこなすか、そういった方法論についての言及が主です。

 確かに個人の生産性はそうした仕事術によって向上します。

 ただ、それらを足し合わせることで国家や組織全体の生産性が向上するかと言えば、必ずしもそうとは言えません。集団の構成員全員が足並みを揃えて生産性向上へ熱心に取り組むとも限りませんし、同じ行動を取っても同じだけ生産性が上がるわけでもなく、そもそも一定数は生産性が上がらずむしろ低下する人もいるためです。個人の生産性が低下するのは家庭の都合であったり傷病が原因であったりと、個人の努力ではどうにもならないことも多々あります。

 よって個人の努力による生産性向上は合計してもトントンから少し上がる程度に収まる場合が多いでしょう。

 国家や組織の生産性向上はそういった末端の自助努力による微小な向上を主軸としても効果が薄いですし意味もあまりありません。国家や組織の生産性向上はより飛躍的で劇的な変化が求められますし、実際にそうでなければグローバルな競争社会では戦えません。

 それこそ例えば日本の生産性向上を課題とするのであれば、日本人の個々の努力ではなくもっと別の方策を検討する必要があります。

 

 国家や組織のような大規模集団における生産性向上を検討する場合、歴史を紐解くことが適切です。

 古代から中世にかけて生産性を大きく変化させたものは、水車・輪作・糸車・高炉などが挙げられます。これらはいずれも従来的なやり方の発展形ではなく新たな仕組みの導入によって生産性が向上しています。

 そしてこれらは全て個人のレベルでの改良でもありません。個人が農地を所有していない荘園の時代に農業計画を変更することは現場レベルでできる変更ではありませんし、糸車や高炉などは個人で簡単に製作・購入できる類のものでもありません。個人ではなく社会システム自体の変革が先にあって初めてこれら生産性を向上させる技術革新を末端まで導入できたのであり、生産性向上の順序は【技術開発】⇒【システム変革】⇒【技術導入】となります。

 このプロセス中において現場レベルの個人の努力は無関係とまでは言わないものの支配的な要因ではないでしょう。むしろ必要なのはどこへ資本を投資してどのように組織的な変革を行うかであり、要するに国家や組織を統治する者の意思決定が生産性向上の鍵を握ります

 その後の歴史も同様です。製紙、印刷、火薬、磁石、金属精錬、蒸気機関、電気、コンテナ、プラスチック、コンピュータなどなど、人類の生産性を向上させてきた要素はそれこそ無数にありますが、それら全てが従来のやり方の発展形ではなく新たな仕組みの導入に他なりません。

 生産性を向上させることを欲するのであれば、どれだけ箒で掃く技術を向上させるかに腐心するのではなく掃除機を購入することです。現場の努力に頼るのではなくむしろ現場が努力せずともいい合理的で効率的な仕組みを導入することが生産性向上をもたらします

 

結言

 例として、日本の低生産性を嘆くパターンとして特に槍玉にあげられがちなのが『会議』です。

 そこで「どうやって会議を効率的に行って生産性を上げるか」と考えるのは弥縫策的であり、劇的な生産性の向上には繋がりません。やるべきは例えば「情報共有型の会議は新規に情報共有システムを導入して常時アクセスさせることで会議自体を廃止する」など、手技ではなくシステムの変更こそが生産性の劇的な向上をもたらします。

 

 この理屈を理解していると、世界中のビジネスメディアや経営層がAIに過大なまでの期待をしていることが分かるかと思います。AIは新たな生産性向上の鍵であり、これに投資をするか、あるいは自組織に導入するかを判断することが”上”の人の仕事です。