道を決めるのは政治の仕事。
科学に是非は無いが、政治は是非を決める行為
私のような工学屋、すなわち科学の世界に生きる人間にとって、学問的結論には是非を考えません。物体がどのような原理で運動しようとも、物質がどのような化学反応を起こそうとも、生物がどのような理屈で進化しようとも、それはそうなるだけであり、それ自体は是も非もないただの現象です。
時々、「科学に従え」といったフレーズを見かけることがありますが、それは厳密に言えば科学的な姿勢ではありません。科学は上述したように是非を問う学問ではないためです。
しかし政治では必ず物事の是非を問います。科学が現象を説明する行為であれば、政治はその現象に対する是非を問う行為だからです。
経済・環境・医学などを筆頭に、「あることをすればそうなり、別のことをすればこうなる」とした科学的な事実をベースに、どちらが是でどちらが非か、より具体的に言えば「何を選ぶか」を政治では決めなければなりません。
いくつか例示してみましょう。
例えば疫病が蔓延した場合にマスクをすることは公衆衛生対策となります。
科学の領分はそこまでです。「だからマスクをしましょう」「でもマスクはやめましょう」を決めるのは科学ではなく政治の領分となります。科学は現象を説明しますがその現象に相対する私たちの行動を規定しません。
他にもリカードの比較優位は分かりやすい事例です。
これは自由貿易において各経済主体が自身にとって最も優位な分野に集中することでそれぞれの労働生産性が増大して財やサービスがより良くなることを説明する概念です。
もう少し言えば、自由貿易や比較優位では全体としての豊かさが増すものの、富の再分配が適切に行われない場合に一部の分野や富裕層へ利益が集中して他の分野では貧困が広がり経済格差が広がる、までが学問的に導き出された現象となります。
アメリカは元々製造業も強い国でしたが、比較優位に基づき富の再分配や製造業よりも金融とITにリソースを集中した方がより優位になるとされたためそちらの方向へ舵を切った結果、全体として裕福になり一部の人々はラストベルトのように仕事を失うこととなりました。
それは経済学による結果ではなく、政治的意思決定による結果です。比較優位自体はただの経済的な原理に過ぎず、「だからリソースを集中すべきだ」とも「だから自由貿易は拒絶すべきだ」とも述べません。なにを良しとするか、比較優位の課題である富の再分配方法を積極的に検討するか、比較優位自体を非として自由貿易を拒絶するか、そういった意思決定は全て政治の領分となります。
環境だって同様です。科学が提示しているのは人為的な気候変動や自然破壊とその影響までであり、「だからどう対策をするか、或いは対策をしないか」を定めるのは政治の仕事となります。
結言
私としては、まるで科学が物事を決めているかのような言説は控えて、科学と政治的意思決定を明確に峻別したほうがいいと考えています。これらの混同が進むと最終的には「その科学は政治的に正しいか」を問うようになり、政治が科学を決めるような世界へと辿り着きかねません。
その道は農業や遺伝学に政治的正しさを持ち込んで失敗したソ連を筆頭に誤った道であることを歴史が証明している以上、出来る限りしっかりと線引きをしておくことには意味があるのではないかと私は思います。