忘れん坊の外部記憶域

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恐れるべきは間違えることではなく、間違いを認めないこと

 人は必ず間違えます。悲しいことに必ずです。これはマーフィーの法則なんて持ち出すまでもなく自明なことです。なので間違えることは恐れる必要なんてありません。貴方も、私も、隣のこの人も、有名人のあの人も、誰もが間違えるのですから。

 問題となるのは間違えることではなく間違いを認めないことです。認知的不協和に陥って間違いを認められなくなるとロクなことになりません。

認知的不協和とサンクコストバイアス

 認知的不協和とは自身の認知に矛盾を抱えた状態を指す用語です。人はこの矛盾による不協和を解消するために様々な意識の変更を行います。対象となる認知の定義を変更したり過小評価する場合もあれば、自身の認知を変更することもあります。

 有名な例はイソップ童話の酸っぱい葡萄です。高所にあって獲得できない葡萄に対して狐が「あれはどうせ酸っぱい葡萄だ」と考える寓話のことです。葡萄を食べたいという認知と自らの能力不足という認知に不協和が起きていることから、対象となる葡萄が美味しくないものだと認知を変更することで葡萄を食べたいという矛盾から逃れていることを物語的に表しています。

 この認知的不協和が顕著に表れるのがサンクコストバイアスです。コンコルド効果とも呼ばれる心理的傾向で、このまま継続していても損失が出ると分かっていてもこれまでに投資した金銭や労力を惜しんでつい投資を継続してしまう心理状態を意味します。

 間違いを認めない理由は様々ありますが、このサンクコストバイアスは一つの大きな心理的要因になります。間違いを認めた場合すでに投入した資源が無駄になるという勘違いのせいで間違いを認めることが難しくなるのです。実際には間違いを認めようが認めまいが投入した資源は無駄になっているのであり、間違いを認めて追加資源の投入を止めたほうが望ましいにも関わらずです。

 身近とは言い難いですがカルトや連鎖販売取引にのめり込む人も同様の心理状態となります。お布施や初期投資に大金を払っていたり親族や友人に無理くり入会を勧めて距離を取られてしまった場合、これはおかしいと間違いに気付いて引き返せる人は稀です。これ以上続けても改善する見込みは無いとしても、多くの人はお金や人間関係を失ってしまったことを自らの過ちだと認知することができず自らの勧めを断る周囲がおかしいと考えるようになります。自らが正しいと信じて行ってきたことを否定するのは耐えがたい認知的不協和を引き起こすからです。

 前述したように人は必ず間違えます。その時に間違いを認めてこれ以上の損失を避けることができるか、それとも認知的不協和を解消するために前動続行に陥り損失の拡大を止められなくなるか、どちらを選べるかで結果が大きく変わります。間違いを認められるかどうかが分水嶺なのです。

間違いをリカバリー出来るのがプロ

 間違いを犯すのは素人であり間違えないのがプロだという誤解があります。これは実に明確な誤解です。プロだって人間なのですから間違えます。

 素人とプロを分けるのは間違いの有無ではなく、間違いを認めてリカバリーできるかどうかです。軽い表現をすれば自分の尻を拭けるかどうかが素人とプロを分ける境界線と言えるでしょう。

 何も間違えず常に正しい選択をし続けているように見える凄い人々も実際は無数の過ちを犯しています。彼らが優れているのはその過ちの芽が小さいうちに適切に摘み取り、大事にならないよう処理する能力が高いことです。自身の責任範疇内で処理しているからこそ他者から見て過ちが起きたように見えないとも言えます。

 素人は火種を見つける能力が低いために出火を招き、ボヤを消し止める方法を知らないために手が付けられなくなる大火となるまで炎上するものです。その大火を見て他者は過ちが起きたことに気付きます。プロは火種を消し止めるのが早くボヤにすら至らせません。また日頃から可燃物の整理整頓を徹底していることから延焼を避けることもできています。そのため他者に見えるような炎上は起こらず、過ちを犯していないように見えるということです。

 つまり燃えて大事になるのが素人、燃えた後に上手く鎮火させるのは二流です。一流は火種のうちに消し止め、さらにそもそも燃えにくい環境を構築することにも長けています。

若手へ

 若手や新人は誰もがまだ素人です。それは当然のことなので恥じる必要などありません。素人のうちは間違いに気付きにくく案件が炎上してしまうことも多々あります。その際は間違えたことをちゃんと認めて正直に報告しましょう。認知的不協和を起こして間違いを認めずに隠してしまうと結局は大炎上に発展してしまい、貴方だけでなく周囲の人も困ってしまいますので。報連相は若手が思っている何倍も重要なのです。