忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

心の距離に関する考察

 互いの意見や主張が異なる場合に双方で譲歩したり折り合いをつけることを「歩み寄る」、相手との心のへだたりを感じる時には「距離感」と表現するように、心や主張のような非物理的なものであっても距離の概念で例えられることが多々あります。

 今回はそんな距離をテーマに少し思索をしてみましょう。

 

逆二乗の法則

 科学の世界において距離は頻繁に出てくる要素です。その中でも自然科学や物理学で頻繁に表れる距離に関する法則の一つに逆二乗の法則というものがあります。これは「物理量の大きさがその発生源からの距離の二乗に反比例する」というものです。

 なぜ二乗に反比例するかというと、私たちの住んでいる世界が三次元空間であることが理由です。熱源や光源のような点から放射されるエネルギーや力は距離に応じて広がっていきますが、三次元の場合その影響を受けるのが面になるからです。距離が2倍になればその影響を受ける面の長さも2倍になり、面積は長さの二乗なので4倍になります。3倍なら面は9倍、4倍なら面は16倍です。よって面が受ける影響は距離に応じて二乗に反比例します。

 言葉で上手く説明できている自信が無いので絵をお借りします。絵で見るととても分かりやすいです。

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標準光源 | 天文学辞典

 

 逆二乗の法則に該当するものは多数あります。代表的なものとしては万有引力の法則が挙げられるでしょう。万有引力の大きさFは距離rの二乗に反比例します。

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 他にも光や波の減衰、クーロンの法則など様々な物理現象において逆二乗の法則が当てはまります。

 

寛容は距離に依存する

 心を三次元的に捉えていいのかは分からないですが、実態的・具体的な何らかの形を持っているものではなく、まさに上の図にあるお星さまのように光源・質点として心のことを認識している人が多いのかもしれません。

 ちなみに二次元的な認知だとした場合、距離と影響は単純に反比例となります。いずれにしても距離が遠ければ遠いほど影響は小さく、近ければ近いほど影響は大きくなります。

 難しそうな雰囲気の話をしているように見えるかもしれませんが、まあ、普通に考えれば当たり前のことですね。

 

 人それぞれ好み、嗜好というものがあります。自身の好みと人の好みが合わないことは多々ありますが、その違いを理解し、受け入れて許容する姿勢を寛容といいます。

 Equality, Diversity, and Inclusion(平等、多様性、受容)を善とするのがリベラルであり、寛容は良いことであるというのがリベラリズムの基本です。私も寛容でありたいと努力しています。

 ただ無制限の寛容というのは不可能であり、限度があるとも思っています。全てのありとあらゆる物事が寛容によって受容されることが理想郷ではありますが、それはさすがに無理です。人には嫌なことを拒絶する権利だってあるのですから。拒絶する権利を取り上げるのは多様性に反していますのでリベラル的には望ましくありません。

 また、寛容がどの程度発揮されるかは物理法則と同様に間違いなく距離に依存します

 例えば食事中に口を閉じないで咀嚼音を立てる人、俗にいうクチャラーを許容できない人を例とします。ただたとえ絶対的に許容できない人だとしても、遥か遠くのブラジルで誰かが咀嚼音を立てていることまで許容できないという人はさすがにいないでしょう。飲食店で隣の席の人が音を立てていれば我慢できるかどうかは分かれそうです。隣の知らない人は我慢できても家族や友人が音を立てることは許せないと思う人もいると思います。

 寛容と物理的・心理的距離は明確に影響があるわけです。物理的にも心理的にも近ければ近いほど寛容を維持するのは難しくなります。

 

 つまるところ、寛容の態度にはおのずと限度があり、寛容を維持して衝突を避けるためには適切な距離を取ることが最適です。寛容を維持できないと思った時はそれをぶつけるのではなく、一度立ち止まるのが寛容としてあるべき姿ということです。不寛容をぶつけてしまっては寛容ではなくなってしまうのですから。

 人と人が分かり合うのは難しいものです。だからこそ歩み寄って相互理解を深めようとする必要があります。親しくなるにつれて寛容の幅や意見の伝え方を相互にゆっくりと調整していけばよいのであって、勢い余って土足で踏み入るべきではありません。それは距離感の取り方を間違えています。

 親しくなりたい人には寛容を互いに維持できる範囲で徐々に距離を探っていくべきで、そうではない人に対しては衝突しないよう距離を取る。それが望ましい寛容の姿かと思います。

 

SNSの発展は距離感をバグらせている気がする

 個人的な雑感ですが、SNSはお手軽に人とコミュニケーションが取れる分、心理的距離がとても狭まるツールだと考えています。物理的には遠いのですが心理的距離はとても近いです。

 それは便利な反面、距離感の取り方を間違えやすいものだとも思っています。心理的に相手の心へ土足で踏み入るような行為がいとも簡単に行えてしまう危険性を持っていると感じるわけです。

 それこそSNS上で見かけた遠くの誰かの言動なんて本来はどうでもいいと思うはずなのです。先に挙げた例でいうブラジルの咀嚼音と同じようなもののはずです。それがまるで身近な家族や友人であるかのように許せなくなって不寛容になるというのは、どうにも距離感がバグっているのではないかと思う次第です。