頭の良し悪しは様々な指標によって語られます。回転が速い、機転が利く、応用力がある、視野が広い、視点が違う、そういった様々なものです。
その中の一つに記憶力という指標もあるかと思います。記憶力が良く色々なことを知っている人は賢そうに見えるものです。
しかし、個人的には記憶力は頭の良さではなく習慣に依存するものだと思っています。もちろん例外的な事例はありそれは頭の良さという形で現れるものではありますが、基本的には習慣だと思っているという、個人的な考えです。
記憶の原理
記憶には、脳が情報を受け取り(記銘)、それを保ち(保持)、呼び出す(想起)という3ステップがあります。また記憶そのものの種類としては時間の長短によって感覚記憶、短期記憶、長期記憶の3つに分けられます。今回は主に長期記憶に関して述べていきます。
記銘と保持に関してのメジャーな言説はエビングハウスの忘却曲線でしょう。時間の経過によって忘却されていく記憶を取り戻すにはどの程度の再学習が必要かを示した曲線です。
好奇心や関連知識の有無が考慮されていないことや忘却の区分不足など、エビングハウスの忘却曲線自体にはいくつかの批判がなされています。しかし、時間経過によって忘却が進むこと、そして適切なタイミングで再学習することによって効率的に記憶を定着させる節約率の概念自体は学術的成果として充分なものです。
もちろん記憶を記銘する速度や効率は頭の回転速度やすでに保持している事前知識に依存します。また記憶の保持効率も個人差があり、記憶を忘れにくい優れた能力を持った人もいることでしょう。さらに言えば忘却曲線では語られていない想起も年齢や個人差の影響を大きく受けるものです。覚えているけど言葉が出てこない・・・というアレです。
よって記憶力は頭の良さを図る一つの指標にはなり得ます。
ただ、逆に言えば、たとえ関心が無かろうが体系的な知識が無かろうが、適切なタイミングで再学習さえすれば記憶を記銘・保持することが出来るということを忘却曲線は示してもいます。『頭が良い人の中には優れた記憶力を持つ人がいる』というのは真ですが、『記憶力が良い人は頭が良い』というのは真ではないと思う次第です。
習慣化すれば記憶は簡単
自他共に認める忘れん坊の私ではありますが、実は記憶しようと思ったことだけはしっかりと記憶できています。例えば円周率であれば中学生の頃から今でも50桁以上暗唱できますし、かなり古い舞台ですが萩尾望都原作の野田秀樹による舞台『半神』は大学生の頃に覚えた結果、今でもほとんどの台詞を覚えています。
一昨日食べた夕飯や自分の誕生日すら覚えていないのになぜ覚えようと思ったことは覚えているのかと言えば簡単な話で、覚えようと思ったことを延々と頭の中で再生しているからです。エビングハウスの忘却曲線よろしく、延々と頭の中に記銘して保持できるまで想起することを繰り返し、意識的にニューロンの結合を強化しています。
記憶術というほどでもなく、ただ愚直に、そして習慣的に繰り返すだけです。お風呂に入る時は今日覚えたことを再生し、歩きながら昨日覚えたことを再生し、忘れているところがあればすぐに再学習する。周りに人が居なければ声に出したほうが覚えやすいですが、本当にただそれだけです。
これは体験を伴っていますので自信満々に言えます。何故ならば私は大学時代演劇部にいたからです。何度か役者をやったこともあります。そう、忘れん坊の私でも長い長い台本を延々と読み返し、繰り返し言葉にするだけでちゃんと覚えることができたのだから、それならば誰にだって出来るのは道理というものです。日々のどこかしらのタイミングで記憶の想起をするという習慣付けさえすれば記憶なんて簡単なのです。多分。
まとめ
映像記憶が出来るようなギフテッドは別です。そういった人は間違いなく天才であり頭が良い人です。そういった特別な例は置いておいて、普通の人でも適切なタイミングで繰り返し再学習を続ければ自然と記憶をすることができると考えます。よって『記憶力が良い人は頭が良い』という指標には懐疑的です。
記憶と言うのは砂のお城のようなものだと思います。人によって砂粒の大きさは違いますので形の作りやすさは異なりますが、どんな砂のお城でも放っておけば時間と共に簡単に崩れ去ってしまいます。適切なタイミングで水を掛けて押し固めてあげる必要があるのです。手を入れていればしっかりとした構造を保てるようになり、その上にもっと大きな構造物を築くことができるでしょう。