忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

十二支が覚えられない

 年始でなければ通じない、年始早々の雑な会話。

部長「お前、うさぎか?」

私「いえ、うさぎじゃないです」

部長「あれ、そうか。じゃあなんだ?」

私「たしか・・・どらごんです」

 

リズム感が・・・

 頭の悪い話をしましょう。

 暗記術の一つに語呂合わせがあるように、音のリズムは記憶に重要だと思っています。特に私のようなガバ記憶力の持ち主としては歌うように覚えられる語呂とリズムがとても重要です。

 例えば円周率、暗記術の練習がてら子どもの頃に記憶したことがあり、今でもまだそこそこは覚えています。今だと大体50桁くらいまで覚えていますが、それは個々の数字ではなく4桁ずつ区切って音として覚えています。若かりし頃に覚えた歌を今でも歌える、そんな感覚と同じです。

 また、演劇の台本を覚える時も音を駆使していました。音楽の歌詞を覚えるのと同様に、文字だけで記憶するのではなくテンポとリズムによる音として記憶をしていたのです。演劇の場合は台詞の他にも動作や照明や人との連携があるので音一辺倒での記憶術ではないですが、音のリズムは大きな役割を持っていました。

 

 十二支ってなんか変じゃないですか?

 いや、まあ、言いがかりなのは重々承知のうえで。

 ね、うし、とら、う、たつ、み、うま

 ここまでは分かりますし、ちゃんと覚えています。流れるように言葉が出てきますよ。

 でもその次、なぜに「ひつじ」?

 急な3文字の登場、リズムが乱れて気が動転してしまい、あといくつ動物が残っていたか分からなくなり、次の動物が「さる」だったか「とり」だったかと疑り深くなり、あるいは「うま」が「ひつじ」よりも後に来ただろうかと心が浮足立ち、はたまた「いぬ、い」でもう締め括っていいのかと心配になる。

 「ひつじ」のせいでそんなふわふわした感じになってしまうのです。

 なんともはや、ただの馬鹿ですね。

 

 そもそもいくらメジャーとはいえ神話生物の辰が居る時点で十二支はなんかおかしいですよ。(猛烈な言いがかり)

 

短期記憶の話

 十二支は多いと思います。七支くらいに減らしたほうが親切です。

 「また何を馬鹿なことを言い出すんだこいつは」とお思いになるかと存じますが、書いている私自身がそう思っているので大丈夫です。大丈夫です?

 

 人間が短期記憶で覚えられる個数は7±2個やら4±1個やらと言われています。心理学界隈の用語ではマジカルナンバーと呼ばれるアレです。実際、私でも「ね、うし、とら、う、たつ、み、うま」の7個まではちゃんと覚えているわけで、マジカルナンバーは比較的信憑性の高い仮説と言えるでしょう。

その観点からすれば12というのはいかにも多すぎるのではないかと私は懸念してしまうわけです。12は人の短期記憶を超える量であり、これを覚えられないのは脳の構造上もはや仕方がないのではないでしょうか?もっと数を減らして七支やら四支やらに減らしたほうが合理的かつ優しい、そうは思いませんか?

 

 「なんでこいつは干支を短期記憶で処理しようとしているのだろう?」という真っ当なツッコミは勘弁願います。

 

結言

 今年はマジカルナンバーの理論に従い、3チャンクに分割して頑張って覚えようと思います。

「ね、うし、とら、う、たつ、み」

「うま、ひつじ、さる」

「とり、いぬ、い」

の3つに分割すれば多分きっと恐らく覚えられる・・・はず。

 

 

余談

私「うさぎかどうか聞かれたんだけど、俺たちってうさぎじゃないよな?」

友人「は?・・・ああ、そうだよ、辰年だよ」

私「どらごんか?」

友人「そうだよ、どらごんだよ」

 生年月日が同じ友人兼同僚に確認を取ったので安心。

 「誕生日だけじゃ飽き足らず干支まで聞いてくんのかよ」という呆れ顔をされましたが、私は元気です。

 

(生年月日が同じ友人兼同僚の話)