忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

若い頃に呑み屋で出会った変なおっちゃん

 連休ということで久しぶりに自宅で人とお酒を呑んだのですが、呑み過ぎて後を引いてしまっており、この記事を書いている今ちょうど、とても頭が悪いです。間違えました、頭の調子が悪いです。つまり頭痛が痛いです。若い頃は二日酔いなんてほとんどしなかったので歳を取ったことを実感します。

 もしくはビールを呑んでワインを呑んで日本酒を呑んでと酷いチャンポンをしたせいかもしれません。頭が悪いのは間違いではありませんね、向き合わざるを得ない厳然たる事実です。

 素面の時には話さないような趣向の違う話題を交わせるため、人とお酒を呑むのはやっぱり楽しいと感じます。誰と呑んでも、とまではさすがに言いませんが、親しい仲でも知らない仲でもそれぞれにまた違った趣きがあります。実は知った仲で呑むよりもむしろ呑み屋で隣り合った知らない人とその席でだけ話すことのほうが好きだったりします、身近な人とは違うまったく知らない日々や環境の話を聞けますので。

 一人酒もまたそれはそれで乙なものですが、お酒を買わなくなって早数年、その感覚はだいぶ彼方に忘れ去ってしまいました。今では実家に帰った時か誰かに誘われた時しかお酒を呑まないため、たまの飲酒の機会は特に楽しく感じます。

 何事も過ぎたるは猶及ばざるが如し、お酒は適量を嗜むのが一番というものです。適量じゃなかったから頭を痛めているんですけどね・・・

 

居酒屋やスナックの思い出

 今は一人酒をしなくなりましたが、20代の頃はよく一人でお酒を呑んでいました。

 お酒を覚えた歳に住んでいたのが東北の片田舎だったため、米どころならば日本酒だろう、ということで美味しい日本酒を出す店を一人で捜し回っていたものです。電車に乗って適当な街に行き、駅前の居酒屋やスナックに一人で入って呑み歩いていたわけです。そのせいでオシャレなバーよりもスナックや居酒屋のほうが好きになってしまった、まあ変な若者でした。そもそも田舎だったのでオシャレなバーとかありませんでした。もちろん友人と行く場合はチェーン店の方が多いですが、一人で呑む時は個人営業の居酒屋やスナックに行きます。綺麗なチェーン店よりもスナック「麗子」的なちょっと煤けた雰囲気のほうが好きなのです。

 大学を卒業して関東に帰ってきてからは居酒屋やスナックへ行く度に珍しがられたものです。20そこそこの若造がふらりと訪れ、「こんばんは。まだやってる?良かった。じゃあママさん、この辺りで一番おススメの日本酒をぬる燗で。それとこのお店は何が美味しいかな?良い魚があるといいんだけど」と慣れた調子でカウンターに座るのですから。

 「あれまあ珍しい、どこから来たんだい?」とお袋どころか祖母ほどに歳の離れたママと話していると、「なんだまた見かけねえあんちゃんが居るじゃねえか」と地元のおっちゃんが寄ってきます。不思議なことにほぼ100%寄ってきます。

 そういう店で呑んでいるのは大体近所のおっちゃんです。地元の小さい会社の社長さんであったり、普段関わらない業種の職人であったり、家に居場所が無いからと呑み屋に来ている定年後のおじいちゃんであったり、実に様々な人が居ます。そういった人々と話をするのがとても楽しく、今でも良い思い出です。こうして書いているとまた久しぶりにスナックに行っておじさんの生態調査をしたくなってきました。ある漫画の台詞ですが、『いいスナックてのはおじさんの保育園みたいな場所なんだよ』というのはなんとも実態を適切に表現した名台詞です。

 

 様々な生態のおじさんが居酒屋やスナックに生息していましたが、未だに強く記憶に残っているのは近所で建設業を営んでいると豪語する50前後の社長さん?です。本当に社長かは知りませんけど、ママからは社長と呼ばれていました。若い頃は東京でヤのつく自由業をやってたんだが今は足を洗ったんだ、これはポン刀で斬られた痕だぜ、と腕の傷を自慢げに見せてきて、金が無えから少し恵んでくれと若造に求めてくる変な人でした。あの刀傷らしきものは本物だったのか今でも時々疑問に思います。

 朝日が昇るまで私を連れ回して呑み歩いた挙句、最後の店で会計直前に逃げ出してくれたので実によく覚えています。最後に連れていかれた店は黒服が常駐しているような店で、手持ちのお金が足りなかったせいで黒服サングラスの兄ちゃんに見張られながらコンビニのATMに行く羽目になったので、本っ当によく覚えています。ボッタクリでは無かったですけど、単純に二人分払うお金を持っていなかったのです。

 人生で会ったロクデナシのランキングではかなり上位ですよ、あのおっちゃん。知らないおじさんについていってはいけませんという子ども向けの教訓を実地で学べましたので、良い勉強にはなりましたけど。

 

結言

 さて、ライチ酒とワインが1本ずつ、あと日本酒が半分残っています。昔に比べて酒が弱くなったことを忘れて買い込み過ぎました。久しぶりに自宅での一人酒を楽しむことにしましょう。

 この記事は迎え酒としてライチ酒を呑みながら書いています。休日の昼から呑むお酒というのは、なんとも実に贅沢であり、人生の贅肉でもあり、だからこそ時には良いものだと思うものです。”時には”ですけどね。