忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

日本人は身内に甘いのか、厳しいのか

 先日取り上げた日野自動車の品質不正において、私は「日本の製造業は駄目だと日本全体にまで範囲を広げる必要はないと思う」と述べました。

 この主語が大きくなる現象は普遍的に観察できるもので、例えば先日東京新聞がスクープした島津製作所の不適切行為に関する報道でも同様に「日本の製品が信用されなくなる」というような論調の意見が散見されました。

www.tokyo-np.co.jp

 島津製作所からの公式見解がまだ発表されておらず分からないため事実関係に関することは述べませんが、事実だとしたらもちろん大問題です。

 

 しかし日本の製品全体の問題か?と言われればまたそれは違うと考えます。

 他所の事例をみても、2016年にサムスンがバッテリーの発火する不具合を起こしましたが韓国製品全般が駄目だということにはなりませんし、2018年にセラノスが医療機器での詐欺を起こしたりボーイング737MAXが設計不備により立て続けに墜落したとしてもアメリカ製品全般が駄目だという話にはなりません。(まあ、一部にはそう言っている人もいましたが・・・)

 なぜ日本の場合は主語が大きくなるか、少し考察をしてみます。

 

 今回の考察は人文社会科学に基づく厳密なロジックではありません。そのため、あくまで私個人の憶測に過ぎないことを留意願います。

 

日本人の自己評価と他国からの評価の乖離

 まず、この現象は日本に限った話ではありません。自国の企業が不祥事をやらかした際は自国全体の問題であるかのように語る人はどの国でも居ます。

 とはいえ私の観測している範囲において、日本は特に自国を悲観的に語る傾向があるように思えます。それを裏付けるデータとして、アメリカの雑誌U.S.News & World Reportは2019年の「最高の国ランキング」で日本が2位を取った際に以下のような記事を発行しています。

 (2021年の最新ランキングでも日本はカナダに次いで2位の地位にいます)

www.usnews.com

(参考:2021年最高の国ランキングの詳細を紹介した記事)

(抄訳)

 日本のブランドはよく知られており、世界中で尊敬されている。これは国家にとって重要であり、強力な国家ブランドを構築し管理することは国が観光や外国投資を誘致するのに役立つ。

 しかし強力な外部ブランドを構築するだけでは十分でない。国民が自国に対して抱いているイメージである内部ブランドも重要な側面である。ある国民が自国に対してポジティブなイメージを持っていれば、海外旅行先でその国のブランドをアピールし、観光客や投資家を歓迎することになるだろう。

 日本は外部ブランドは高いが、内部ブランドはかなり低い。我々の収集したデータによると、日本国民は世界の他の国々と比べて自国を非常に否定的かつ悲観的に見ていることが分かる。様々な尺度で見ると、日本人は他の国々が考えているよりも自国の生産性や安定性を低く、文化的な重要性さえも低いと考えている。それに比べて、他のほとんどの国は世界の他の国々よりも自国を肯定的に捉えている(他国民が評価するよりも自国を高く評価している)。

 ワールドスタンダードな態度としては他国民よりも自国民のほうが自国を良いと評価するものであり、日本はその逆の態度を示す数少ない例外となっています。

 

ウチとソト:儒教的価値観

 日本人がこの手のランキングで自国を低く評価するのは国内に居るから実情が見えているという点もあるかと思いますが、実際のデータにおいても決して他国に引けを取らない成績を取っておりだからこそランキング上位に居ることからも分かるように、実数値云々というよりも文化的なものが大きいかと考えます。謙遜の文化により、自身や身内であるウチソトへ紹介する時はへりくだって低く語ることが多いのでしょう。

 その良し悪しは人それぞれではありますが、私自身もあまり他所の国に対して「うちの国すげーだろ!」と誇るような態度は望ましいとは思いませんので多少の謙遜は美徳だと考えます。

 とはいえ、だからと言って日本人がウチに厳しいということでもありません。むしろ儒教圏においては日本のウチとソト、韓国のウリとナム、中国・台湾の自己人と外人のように身内その他を明確に区分する文化があり、身内を優遇したことによって経営者や政治家がよく批判されていることからも分かるように身内には甘い判断を下すのが一般的です。それが度を過ぎる場合は批判対象となりますが、身内を優遇しがちであることは否定できない傾向かと思われます。

 

主語を大きくする人の考え

 以上のように、日本には身内に対して甘く接する場合と厳しく評価する場合の両側面があります

 では「日本の製造業は駄目だ」と主語が大きい発言がなされる意図や心理はどうなのか。その機序は複雑で必ずしも説明できるものではないとも思いますが、一つの思索として、これはウチをソトへ紹介する場合ではないので謙遜ではなく、ウチであっても甘い判断をしているわけでもないことから、身内の失敗をウチ全体のものとして捉える恥の文化に依拠するものと考えます。

 つまり、たとい個人の失敗であってもウチである共同体が責任を取ろうとするのと同様、一つの企業の不正としてもそれを全体で共有して責任を取るべきだろうという、ウチとソトの概念と恥の文化が発露したものだと推定します。

 

 「日本は駄目だ」という論調の方こそが実は最も日本人らしい伝統的な考え方を持っているのかもしれません。

 

 

余談

 まあ、いらん考察です。