「私って運が良いんだよね」
「俺って運が悪いんだよな」
個々人の運の善し悪しはそれこそ確率的な問題です。10回中8回くらい良い事象を引ける幸運な人もいれば、10回中ほとんど悪い事象しか引けない人もいます。吉凶禍福は人知の及ばない天の定めるもの、と言わざるを得ない程度に残酷なまでの差異が存在することでしょう。
運の良し悪しに関して
しかしそれはマクロな視点によるものです。ミクロの視点ではまた違います。
「私って運が良いんだよね」
「俺って運が悪いんだよな」
と口にする私たちは、統計的に他者の運の善し悪しを見ているわけではありません。「恐らく平均的にこのくらいの運の良さがあり、それよりも自分は上か下か」と判断しているだけです。さらに言えば、その恐らく平均的にという値は個人の観察範囲に過ぎず、圧倒的に母集団が少ないものです。
もちろん80億人の運の良さを測定し、その統計を取らなければいけないなんて言うわけではありません。そんなことは不可能ですし、そもそもどの程度であれば「運が良い」と言えるのか、それを定義することですら大変でしょう。
個人レベルで考える運の良し悪しは実際の運の良し悪しとは全く別の個人的な感性に依るものだということです。実際の現実とは遥かにかけ離れたものであり、正直なところあまり意味のある指標ではありません。
もっと言えば、自分の運の善し悪しを事細かに記録して記憶している人はまず少数派です。ほとんどの人は統計的に自分の運の良し悪しを判断しておらず、曖昧で不確かな感覚、そして繰り返し思い出して強化された記憶によって自身の善し悪しを判断しています。
つまり、自分の運の善し悪しは「記憶に残る経験」次第であり、さらに言えば「何を記憶に残したいか」で決められるということです。もう明らかに運が悪い人でも、何か一つとても素敵な幸運に恵まれればそれを強い記憶として残すことで「自分は運が良い」と考えることができますし、その逆も然りです。
運が良かろうが悪かろうが、自分が好む方を選べばいいのではありますが、どちらかと言えば「自分は運が良い」と思っていた方が生きやすいのではないでしょうか、恐らくですけど。
幸運な記憶(仕事編)
ちなみに私は「私は運が良い」と思っています。日々がどうかはなんとも言い難いですが、クリティカルな被害を避けること、致命的なババを引かないことに関しては相当自信があります。だからこそ未来も何とかなるだろうという楽観的な感性を持てているのかもしれません。
何故そう思うのか、その根拠となる幸運な記憶の内1つを開示してみましょう。私的な幸運はなんとなく気恥ずかしいので、仕事における幸運の話をします。
"石の上にも三年"という昔ながらの言葉があるが、技術者にとってこの言葉はあながち古色蒼然とした言葉ではない。実際にエンジニアリングを学ぶには3年では短すぎるとさえ言える。技術者には無数の知識と同時に数多の経験が不可欠であり、3年で得られる経験程度はほぼ存在しないに等しい。3年という期間を経た技術者とは、経験を得るための技術的基盤をひとまず固め終えただけの、まだ一人前とは言えない存在である。
社会人5年目。上司や先輩の直接的庇護を離れ、というよりも上司や先輩が部署異動によって居なくなったため半強制的に自立した技術者として独り歩きを始めた頃、担当営業を通して得意先の顧客から依頼が入った。曰く、新しい設備を設計したいのだが、弊社の現行製品では性能を満たせない、新設備に合わせて製品の設計変更を行ってもらいたい、ということだそうだ。
顧客の仕様に合わせて設計を変更するのは良くあることで、それ自体は殊更疑点の無い、むしろ日常的な話である。しかし本件は顧客の要求が過剰であった。なにせ設計期間は僅か半年のみ、価格は据え置き、設計に掛かる費用は弊社持ち、対応できないなら他社に乗り換えるという、実に承服しかねる条件ばかりだ。
幸いにして弊社の担当営業は百戦錬磨のベテランであり、この依頼を一蹴してくれた。「どうぞ、それであれば他社にお乗り換えください。出来るものであれば」と一言添えるまでの始末。当然の対応とも言える、なにせ市場占有率は弊社が群を抜いている製品であり、さらには顧客仕様を満たすための設計難易度は競合他社で行えるレベルではない。我々もボランティアではない以上、適正な利益を要求するのは当然のことである。
案の定しばらく後、「他社に相談したが駄目だった、御社に依頼したい」と顧客が泣きついてきた。再度条件を調整し、設計期間は譲れないということだったが価格や費用については妥当なところで落ち着いた。条件が定まったからには設計開始だ。
今までは上司や先輩の補佐として設計に携わってきた私がここで主設計として担当することになった。初めての大役として僅かばかりの緊張もあったが、それよりも自分が主導して物事を進められる喜びが遥かに勝った。当時を振り返れば、まだ恐れを知らない経験の浅い若者であったと今でも思う。
実際に設計を始めたところ、”設計変更”という範囲では収まらない設計となることがすぐさま明確となった。なにせほとんどの部品を新規に設計しなければならない、それはもはや設計変更ではなく新製品だ。
とはいえこれは引き合いが来た時点で大よそ検討が付いていたことでもある。だからこそ設計期間の半年に不服を申し立てたのだから。私たちは難易度が高いことを承知の上で引き受けた以上、期日内に設計を完了しなければならない。
ありがたいことに上司や先輩の教育良く、必要な設計や通すべき筋、社内のプロセスややるべきことを熟知させてもらっていたため、初めての設計主担当としては快調と言える進捗であり、設計評価は極めて順調であった。
だからこそ、油断があったのかもしれない。
設計開始から4か月、設計計算と基本的な試作評価を終えて、細かい評価試験を行っている時にそれは起きた。所定の条件下において、強度が持たずに部品が破断した。まったく想定していなかった箇所、設計時に見落としていた瑕疵が、ここにきて顕在化した。
ベテランであれば強度設計の勘所は分かっている。それを見落としていたのはひとえに私の経験不足と間抜けに過ぎない。誰にも責任転嫁することは許されない。初めてとはいえ私が設計の主担当なのだ。
強度の改善無しに販売することは有り得ない。直ちに設計計算へ手戻りせざるを得ないが、だがすでに残り2か月、今から設計計算に戻っていては当然ながら顧客納期には間に合わない。
もはや腹を括るしかない。たとえどのような罵声を受けようとも、機会損失の損害賠償に発展しようとも、納期が間に合わないことを顧客に報告しなければならない。「悪い報告こそ早くしろ」という社会人の常識は骨身に染みている。今すぐにでも報告すべきだ。遅延の責任は会社のものとなるが、その報告や行動の責任は主担当である私にあるのだから。
営業を盾にするのも筋が通らないだろう。私は進捗状況を直接説明するため、怯える心を奮い起こし、冷や汗もそのままに震える指で電話を持ち、顧客の担当者に連絡をした。
「もしもし、○○○様ですか?」
「ああ、どうも、お世話になっております」
「例の件なのですが・・・こちらのs」
「ああ、あの件ですね、本当に申し訳ない!」
「・・・え?」
「ちょっとこっちの設計が遅れていましてね、2か月後に納品してもらう予定だったのですが、在庫の都合上しばらく延期させてもらいたいんですよ」
「・・・あ、ええ、それは特に問題無いです、いや、実はこちらもちょっと設計が遅れていまして・・・」
「大丈夫ですよ!細かい日程についてはこちらの設計に目途が立ったらまた相談させてください!」
「あ、はい、よろしくお願いいたします・・・」
結言
断頭台に登ったら断頭台が故障していて命拾いしました。
つまるところ、自分の運の善し悪しは自分で決められるということです。いや、ホント、「持って」ますよ私は。もう絶対アカンと思っていましたけど、なんとかなったのですから。日常的な運の良さにはさほど自信はありませんが、「私は運が良い」と言い張るだけの強い記憶としてこの体験は今でも時々蘇ります。
もちろんこの後ちゃんと青息吐息になりつつも超特急で再設計をして、問題ない製品を作りました。なんとも胃に悪い経験でした。以降、強度計算にやたらとうるさい技術者に育ちましたよ、ええ。