忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

選挙を重く捉えすぎることの弊害

 

 先日も記事にしましたが、選挙を勝敗の視点で見ると選挙後に支障を来たします。選挙や多数決とは集団内での代表意見や代表者の選定行為に過ぎず、本来的に言えば勝敗ではありません。

 もちろん有権者もマスメディアも皆口を揃えて選挙を勝敗で語りがちですので、そういった見方に染まるのは仕方がないことかもしれません。さらに言えば立候補者を筆頭に選挙が人生を左右する人もいますので、そういった人からすれば人生の勝負所であることも事実でしょう。

 よって選挙を勝負と捉えてもいいですが、それはもう少し軽い意味合いでなければならないと考えます。

 

代表を決める行為の意味

 立候補者にとっては人生が掛かっている事柄ですので選挙を著しく重いものだと捉えるのは自然なことです。また、私たちの暮らす民主主義国家では民主主義を価値の高いものだと教育をするため、民主主義の根幹たる選挙を同様に重いものだと捉えてしまうのは道理でしょう。

 

 ただ、選挙はもっと軽いものですし、そうでなければなりません。選挙を勝負事と捉えるのだとしてもそれは「雌雄を決める」や「決着をつける」レベルではなく、せいぜいが「スポーツ大会」くらいです。

 民主主義の選挙とはまさにスポーツで言うところの代表選抜戦くらいのものを想像すればよいと思います。なにせ選挙とは代表を選ぶ行為なのですから、イメージとしてはぴったりでしょう。

 

私たちは、18歳になると、みんなの代表を選挙で選ぶことのできる権利が与えられます。これが「選挙権」。そして、その後ある年齢になると、今度は選挙に出てみんなの代表になる資格ができます。これが「被選挙権」。
どちらも、私たちみんながよりよい社会づくりに参加できるように定められた、大切な権利です。

総務省|選挙権と被選挙権

 

 つまりは甲子園の予選で地区代表を決めるようなものです。

 人によって応援している学校は違いますが、もし負けたとしても地区代表を憎むまでに過激な人は稀であり、大抵は勝った学校を地区の代表者として快く全国へ送り出すものでしょう。ましてや勝った学校を罵ったり妨害したりするようなことはそうそう考えられません。もちろんいないわけではないのでしょうが。

 

 社会人野球の都市対抗野球大会はもっと分かりやすいでしょうか。

 都市対抗は全国の社会人野球チームが競い合う社会人野球の主要大会の一つです。各地区ごとに予選を行い、北海道代表や北関東代表などが本選トーナメントを争います。

 都市対抗では各地区の代表チームが同地区の予選で敗退したチームから最大3名まで選手をレンタルすることができる制度があります。負けたチームも代表チームに選手を送り出せることは名誉ですし、代表チームも有力選手を増やせるためお得になる面白いシステムです。

 そこにいがみ合いや憎しみはありません。地区内での勝負は地区代表を決めるために行うものであり、勝敗が決した後、敗者は同じ地区の仲間として勝者に協力し、勝者は敗者と手を取り合って地区を背負います。

 

 今回は野球で例えてみましたが、他のどんなスポーツ、そして日本代表であろうと都道府県代表であろうとどんな規模のものでも同じです。代表者は集団の代表であり、集団内での勝負事が終わった後も同じ集団としての紐帯は維持されます。

 そしてそれは選挙も同じであるべきです。

 代表を決める行為とは互いに食らい合い禍根を残すような生き死にの争いをすることではなく、勝負が終わったら握手をして互いの健闘を称え合う行為であり、またそうでなければなりません。そのような結末を無理やりにでも迎えなければ選挙は集団を分断するための装置に堕してしまいます

 敗北者には「貴方たちが選ばれた、任せますので宜しくお願いします。困ったらいつでも呼んでください、いくらでも手伝いますよ、その代わりもちろん私たちの提案も聞いてくださいね」

といった姿勢が嘘でも必要です。ちょうど先日、選挙に負けて辞意表明を出したイギリス首相が新首相に対してエールを送ったように。

 そして当たり前ですが同時に勝者にも敗者の健闘を称えて今後の協力を依頼する姿勢が必要です。イギリスの新首相が敗者の貢献と努力にエールを送ったように。

 たとえ表面的であってもスポーツのように健闘を称え合う、選挙もそうあらねばなりません。

 

結言

 選挙を代表の選定ではなく勝者総取りの争いだと誤解して、結果が出た後に協力する姿勢を示さずに徹底抗戦を志向することは双方にとって不幸をもたらします。

 率直に言って、ここは曲げられないがここは折れる、そういった斟酌と調整と妥協が政治であり、徹底抗戦を選ぶ人間は政治家とは呼べません。そういったイデオロギーや信念に殉ずる人は活動家と呼びます。

 政治に政治家として参画するつもりがわずかでもあるのであれば表面上だけでもいいので政治家としての資質を示して欲しいと思います。