熱狂が去って多少落ち着いてきたかと思いますので、また選挙や民主主義に関連する話をしましょう。
ホットなテーマは火傷しかねないので、冷めてから語るに限ります。
私は猫舌なので。
民主主義とは結果ではなくプロセス
波乱のあった選挙が終わると時々「民主主義の崩壊」を語る人が現れます。
そういった言説を見かけると、個人的にはとても残念な気持ちになります。そもそも民主主義の根本が誤解されているのではないかと。
もちろん代表者として選定された人物が不適切だと思うのはそれぞれの自由ですが、それは本質的に”民主主義の崩壊”とは繋がらない見解です。
民主主義とは結果ではなくプロセスです。
選挙権が適切に行使されて、選挙プロセスに問題が無く、恙なく選挙が実施されていれば民主主義は保たれます。その結果としてどのような人が選挙で代表者として選ばれたかどうかは、民主主義の崩壊とは関係ありません。民意が反映された代表者であるかどうか、当選者の資質がどうか、そういった懸案は民主主義の崩壊とはまったく無関係です。
そもそも論として、民主主義とは代表者を皆で選ぶ仕組みであり、正しい人を選ぶ仕組みではありません。
そして強いて言えば選挙とは正しくなかった人を落とす仕組みであり、候補者の正誤を事前にチェックする機構が存在しない以上、民主主義は正しい人を選ぶ仕組みではないと断言できます。
よって選定された代表者の資質に基づいて民主主義の崩壊を語る言説は全て的外れとなります。元々民主主義とはそういった仕組みではありませんので、民主主義の崩壊とは無関係です。
民主主義の崩壊
民主主義の崩壊とは、不適切な人物が選ばれることではなく、選挙プロセス自体が崩壊する事態を指します。
極端な事例で言えば、ヒトラーを選ぶこと自体は民主主義の崩壊でもなんでもなく、ヒトラーが全権委任法を可決させたり野党を解散させたように選挙を歪める行為の容認こそが民主主義の崩壊だと言えます。
つまり不適切な代表者を選定してしまうことではなく、不適切な代表者の専横を許すことが民主主義の崩壊です。ナチ党を選んだことではなくナチ党以外を選べなくなったことが民主主義の崩壊であり、そういった選挙プロセスへの介入こそが問題視すべきポイントだと言えます。
その点で言えば、現時点の日本やアメリカで行われた選挙は、やり方のハック自体はあったものの選挙プロセス自体が改変されたわけではありませんので、民主主義の崩壊とは言えません。現時点のルールに欠陥があれば民主主義の手続きに基づいてその穴を塞げばいいだけです。代表者の選定と同様、その時の選挙で選ばれた人が駄目であればルールも同様に次の選挙で正していけばいいだけだと言えます。
真に民主主義の崩壊を懸念すべきは、間違いを正す仕組みが無くなりそうなときだけです。
結言
極端な話ですが、野党を強制的に解散させたり、終身大統領制みたいな仕組みを作って選挙を廃止したりしない限りは民主主義の崩壊とは言えません。
民主主義は常に正しい選択をできる仕組みになっていないうえ、常に正しい選択をできる仕組みは現時点で存在しませんので、不適切だと思われる人物が選ばれることも含めて民主主義であり受容する必要があります。
要約すると、民主主義とは間違えることを前提とした仕組みで、その間違いを選挙によって正すことができる仕組みです。その間違いを正す仕組みが壊れた時、それが民主主義の崩壊だと言えます。