忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

適度な緊張は成長への肥料となる

 もうすぐ部署異動してから初の海外出張となりますので、少し緊張気味です。

 まだ仕事を覚え切れていないので上手く遂行できるかどうか自信がないこともありますし、言葉が通じない異国の地への不安はいつだって付き纏います。なによりまだ海外出張自体は一桁しか経験が無くあまり慣れていないのでそれ自体への緊張があるのでしょう。後は単純に、出発前は忘れ物が無いか心配するので少し緊張します。

 まあ人間何事にも慣れるものですので、恐らく来年頃には慣れていると思います。忘れ物の不安以外は。

 

適度な緊張感

 このくらいの緊張は個人的に心地が良いと感じます。

 緊張があるからこそ自らのうちで危機感を生成することができ、モチベーティブな行動へと繋げることができるからです。

 モチベーションは簡易的には何かしら外的要因によって生まれます。ご褒美としてのスイーツやお小遣いなどが分かりやすい例であり、危機感もそのうちの一つです。危機から逃れるためであればどれだけ面倒なことであっても人は積極的な行動を取ることができます。

 もちろん理想論としては散発的な外的要因に頼らず内的要因に基づき持続性の高い意欲を持つことですが、誰もがそのような強い意志を常に持ち続けられるわけではない以上、時にはカンフル剤としての外的要因に基づいたモチベーションも必要です。

 すなわち、適度な緊張は成長への丁度いい肥料となる、そう私は考えています。

 

 緊張は程々が重要です。当たり前のことですが、適度な緊張でなければメンタルが持ちません。

 自分が今緊張していてそれをどう取り扱うかを思案できる、その程度にコントローラブルな緊張がちょうどいいものだと考えます。少なくとも緊張に支配されて自らの意思決定がままならなくなるような過度の緊張は駄目ですし、さっと解消できてしまう程度の緩い緊張もあまり効果的ではありません。

 何事も適量が一番であり、緊張もそのうちの一つだということでしょう。

 

結言

 子どもの頃から出たがりな性格で、クラス委員長なり放送委員なり演劇部なり人前に出て話をする経験を積んできた結果から緊張感と程よく付き合う術を自然と身に着けてきた私としては、過度な緊張を受けた時にその圧力を自らの心理作用で減圧することでどのような経験でも成長材料にできる、なんて気楽に考えていたりもします。

 もちろんそれは緊張の取り扱いに慣れている人間の特技的なものですので、決して万人にはおすすめできませんが。

 

 

余談

 今回の出張は営業部の後輩が同行してくれます。

 なんだかんだ出張と言えば同世代やベテランさんと一緒に行くことばかりでした。「うちの技術者を連れてきたんでなんでも聞いてください」といったベテラン営業さんの付加価値提供用アイテムとしての出張が多かったです。

 後輩が居るのはかなりのレアケースです。やることは変わらず「うちの技術者を連れてきたんでなんでも聞いてください」ではありますが、今までは「ベテランの目上感」と「頼んでいる側の遠慮感」が相殺されてそこそこ気楽なポジションでした。今回は目上感が無い分相手の遠慮が強くなってしまいそうです。

 気楽な関係性でありたい、そう思うのは恐らく我儘なのだと思います。今後は否応なしにこのようなケースが増えていく以上、歳に応じて対応せねばならないのでしょう。