忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

立場が変わると仕事が変わる、それは当たり前のこと

 

 あまりグチグチした話をブログでしたいわけではないのですが、最近お疲れモードでちょっとネガティブ気味な考えが多めになっているため、そんな状況を日記的に記録していきましょう。

 

チームプレイとチームワーク

 先日もブログで書いたように、昨年までは体操の団体戦的な仕事の回し方をしていましたが、現在はサッカーのチームプレイ的な仕事の回し方を求められています。個々人が己のパフォーマンスを出し合った結果の合算として全体があるのではなく、全体の一部として個人が組み込まれているような働き方です。

 オタクらしく攻殻機動隊の名台詞を引用すると、昨年までは次のようなスタンスが基本でした。

我々の間にはチームプレーなどという都合のよい言い訳は存在せん。あるとすればスタンドプレーから生じる、チームワークだけだ。

 今は個人のパフォーマンスやチームワークよりも全体最適を重視したチームプレイを求められているため、少し窮屈です。

 

 もちろんチームプレイとチームワークはどちらも重要です。

 大雑把に言葉を定義すると、チームプレイとは共同での作業、チームワークとは共同での仕事だと言えます。指示に従って言われた通りに”作業”をするか、組織の目的に資するようそれぞれが考えて”仕事”をするかの違いです。

 組織で働く以上チームプレイは基本中の基本であり大前提です。それぞれがバラバラに行動していては集団となっている意味がなく、メンバーは集団の目的に資するような行動を取り、指示に従い、互いの状況を斟酌して足並みを揃える必要があります。

 しかしチームプレイだけでは伸びしろが無く、組織としての成長はありません。集団が伸びるためにはメンバー個々人が成長して最大限のパフォーマンスを発揮する必要があります。そうやって得られたそれぞれの「個性」を上手く生かし合い組織の目的のために噛み合わせる行為がチームワークです

 個性を生かしたチームワークをするためには個性を殺したチームプレイをできることが前提となります。チームプレイができない人にチームワークはできません。組織が個人に求めるのはチームワークですがそのためにはチームプレイの習熟が必須であり、どちらが重要かと言えば、どちらも重要です。

 

立場の変化と心労

 ここまでは重々承知しているのですが、もう一つの軸としてする側してもらう側の違いがあり、そこで戸惑っています。

 スポーツで言えばプレイヤーと監督・コーチのような関係性です。

 私は今まで前線の設計部署でチームプレイやチームワークをする側でしたが、今はチームプレイやチームワークをしてもらう側になり、その初期段階としてチームプレイを指揮する仕事を任されている状況です。プレイヤーからコーチ、兵卒から士官になったようなもので、実に環境が一変しました。

 設計部署から企画部署へ異動したため自分のポジションを一言で説明するのがどうにも難しくなったと感じていたのですが、先日、社内の資料に目を通していたら『プロジェクトマネージャー』の欄に私の名前が記載されていたので、今の私は『ぷろじぇくとまねぇじゃあ』なるもののようです。へぇ、はつみみー。

 

 自分を動かすのは簡単ですが他人を動かすのは難しいものだと、しみじみ実感する日々を過ごしています。そりゃあお疲れモードにもなるというものです。

 

結言

 ちなみに、立場は変わりましたがまだ組織の階層を登ったわけではないので待遇は変化無しです。出世したわけではありません。まだまだ下っ端です。

 恐らくこれで成果を出せるようになれば、今度はチームワークをしてもらう側の仕事を与えられるようになるのでしょう。そこまで私が付いていけるかはさておき。

 

 今どきの若者、と言える年かはともかく、そこまで上昇志向や出世欲の無い今どきの若者的本音の部分と、まあとはいえ年相応にやらざるを得ないのだろうと思う社会的心理の部分が心の中で衝突していて、少しばかりブルーです。