忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

若手に機会を譲りたいのですが

 

それなりに偉い人「例年通り、今年の冬も海外のお偉いさんが来日してくるので、アテンド要員の一人として参加をしてください

私「またですか、そして何度目ですか、英語苦手だからあまり乗り気ではないのですが。去年もやりましたし、若手に語学を学ぶ機会や偉い人と接する機会を与えるためにもローテーションしませんか?

言いたいことは分かりますが、〇〇さんのご指名です

そんな雲上人が下っ端の配置にまで口を・・・いや、批判じゃないです、はい。分かりました。指示に従います

君は工場見学の担当です

え、いや、私はもう工場勤務じゃないのですが。ご存じの通り今は本社勤務ですので工場見学は工場から人を出したほうが

〇〇さんのご指名です

なんで、あ、いや、はい、分かりました。指示に従います

見学する工場は〇〇〇工場でお願いします

あの、ご存じの通り私は△△△工場の出ですので、〇〇〇工場については正直詳しくないのですが

これは私の希望です

え、あ、はい。分かりました。頑張ります

 いくら傍若無人の私であっても組織人として超えてはいけない一線はさすがに弁えているつもりです。指揮命令系統には大人しく従います・・・大人しくはないかもしれませんが、従います。

 

 でも、ちょっと虚言だと疑ってます。そんな上の人が下っ端の誰が出て何をするかまで口出ししているとは思えないので。

 何はともあれお偉いさんの名前を出されてしまうとどうにもならないのではありますが。威力としては水戸黄門の印籠並みです。

 

組織は難しい

 弊社は根底に昭和気質の残り香と体育会系精神がガッツリあるため、なんだかんだ強めな縦社会です。まあそこそこ以上の歴史と規模を持つメーカーであれば恐らく一般的な体質でしょう。その良し悪しはさておき。

 私は年齢的にそういった昭和的な感覚へ反感を持ちつつも意味の理解はできる程度の世代なため、そういった風潮には頭の中では反発しつつも体は従います。

 例えば机上の理想論としては上意下達型ではない自発型の組織のほうが個々人の性能が発揮できて優れていると理屈的に思っていますが、では実際にある程度以上の規模を持った組織が自発型で機能するかと言えばそれは難しいと経験則的に分かっています。

 何故ならば、自発型は規模が拡大すればするほど「致命的なやらかしをする社員が紛れ込む可能性が高まる」リスクを無視できなくなるためです。

 また規模が拡大すればするほど致命的なやらかしの”致命度合い”が高まることも状況を悪化させます。小さな組織の不祥事は小さく扱われますが大きな組織の不祥事は大きく扱われる以上、規模が大きい組織は否応なしにリスクを回避するため保守的な組織運営をせざるを得ないでしょう。そしてそれに対して反発心があったとしても反発することには意味がない、そう理解しています。それが嫌であれば少数精鋭のベンチャー企業にでも転職すればいいだけの話です。

 

 何はともあれ、組織とは人が集まって作り上げるものであり、それを構成する人の素質と規模によって適切な組織形態が変わる難しいものだと思っています。様々な理想論はあれど、現在回っているのであればそれはそれで一つの正解です。保守的なものを全て否定していれば理想郷に辿り着けるわけではないのですから、適宜調整していくのが妥当でしょう。

 

結言

 話がだいぶ逸れましたが、要するに「よく分からないけど上からよく分からない圧を受けた」だけの、ちょっとした笑い話です。