一週間ぶりの出社に際しての、唐突な朝の日記。
朝
月曜日、朝。
元々私の目覚める時間は早い。しかし朝に弱い質で、目を覚ました後に布団から出るまでに時間が掛かる。
そのため普段であれば五時頃に目を覚まし、しばし微睡みの時間を過ごしながらも六時に設定された目覚ましに合わせて布団から出ることにしている。
今日はスマートフォンの目覚まし機能が沈黙している。海外出張中に停止していた目覚まし機能の再設定を忘れていたため、布団からのそりと起き上がったのは六時を少し過ぎた時間だった。
一週間程度の出張だったというのに、起床後のルーチンが記憶から少し飛んでいた。さて朝は何をするものだったかと戸惑う辺り、私が常日頃より自身の記憶能力に信を置いていないことは正しい判断だと言えるだろう。
とはいえそれは些細なことで支障を来たすほどではない。少なくとも鞄や着替えや道具は前夜のうちに準備を整えてある。幼少期はそういった準備が苦手で朝にバタバタ慌ただしく活動する子どもだったが、さすがに社会人になって以降は気を付けることができるようになった。
大人は忘れ物をしてはいけない。少なくとも忘れ物をしないような努力だけは怠ってはいけない。それが責任感であり、プロ意識である。
などと語ってみたものの、実のところ大した話ではない。翌日の準備をしておくなんて真っ当な人間であれば子どもの頃からできる些事である。
通勤電車の時間は流石に覚えている。
何時に家を出れば適切かも流石に覚えている。
その感覚からすれば、もうギリギリだ。少しゆったりとし過ぎた。すぐに家を出なければ。
鞄を引っ掴み、買い換えたばかりの靴を履き、ジャケットのファスナーを弄りながら階段を駆け下りていつもの道へとまろび出る。私と同様に、スーツを着て鞄を持ち駅へと向かうサラリーマンがぽつりぽつりと道を行く様が見える。そのさほど愉快でもない生者の行進である疎らな流れへ合流し、私も同じように駅へと向かう。
一週間程度では道行の様相は変わらない。せいぜい少し肌寒くなってはいるが、東京とほぼ変わらぬ緯度の重慶に居たため、やはりあまり差異は感じられない。ハルビンにでも行っていればまた違った感想となっただろう。
いつも通りに駅へと着き、いつも通りの電車に乗る。
席はすでに埋まっていて座るところは無いが、乗客の体が触れ合わない程度の乗車率。席を譲る行為を横着して端から座る気のない私としてはちょうどいい混み具合だ。
いつものようにスマートフォンを取り出して適当にニュースなどを眺める。日によってはブログを書いている時間だが、今日はそんな気分ではない。出張中に触れられなかった各種ニュースをダラダラと流し読む。
そうこうしているとあっという間に職場の最寄り駅へと着く。駅の設計の問題だろうか、乗り換えをするための流動と出口へと向かう流動が衝突するポイントがあり、出遅れるとそこでの流速低下が著しくなることから、速やかに電車から降りて流動が衝突する前に出口の改札を抜け出る。手慣れたものだ。
その後は寒空の下を歩いて職場へと向かっていく。数分の道のりであり、大したことはない。大抵の場合は職場までの距離が短くなるに比例してモチベーションも低下の一途を辿るが、今日は一週間ぶりの出社なのでまだご機嫌だ。
さあ、今日は久しぶりに緩い気分で仕事をすることにしよう。