あまり語りたくなかったのですが、被害者文化についても取り上げることとしましょう。
野蛮
世の中には快不快の情に基づき不平不満を騒ぎ立てて人々を扇動しようとする人がいます。
この辺りはVictimhood Culture(被害者文化)として社会学的に研究されている領域ですので、厳密に理解するためには専門書なり書籍なりを読んでいただくのが宜しいです。
『The Rise of Victimhood Culture: Microaggressions, Safe Spaces, and the New Culture Wars』が恐らくベストなのですが、待ち焦がれているのにいつまで経っても邦訳が出ないので、日本語の書籍であれば『「やさしさ」の免罪符 暴走する被害者意識と「社会正義」』をおすすめします。
私はもう少し学術的ではない乱雑な表現で述べていきます。
非常に雑な括りですが、この世には野蛮と文明があります。一方的な力を持って他者を意のままに動かそうとすることは野蛮であり、双方の尊重を元に交渉や協業をもって互いの権利を最大限行使することが文明です。
野蛮が許容される社会は勝者が総取りする社会であり、必然的にパワーの偏りが広がっていきます。勝つ者は勝ち続け、負ける者は負け続けていく世界であり、その世界におけるかつての貴族と農奴のような貧富の格差は現代の格差とは比較にもなりません。野蛮な社会は少数の強者による独裁や支配を許容する社会であり、大多数が幸福追求権を失っている社会だと言えます。
そういった本能的な野蛮さを抑えてそれぞれの幸福を追求できるよう権利を整備した文明社会が現代です。
しかし人々の野蛮は失われたのではなく抑えられているだけです。未だに野蛮を振り回す人はいます。
分かりやすく暴力や権力にものを言わせて他者を意のままに動かそうとすることだけが野蛮ではありません。 快不快の情に基づき不平不満を騒ぎ立てて人々を扇動して物事を変えようとすることも、明確に野蛮です。多数で囲んで他者を吊し上げて言い分を呑ませようとするのは無形の暴力であり、野蛮であると言わざるを得ません。
SNSなどで寄って集って不平不満をぶつける行為もただただ野蛮だと認識した方がいいでしょう。棍棒を持って他者を攻撃して言いなりにしているのと同様でしかありません。棍棒を言葉に変えれば野蛮の謗りを避けられるわけではなく、そもそも囲んで他者を攻撃する行為が野蛮なのですから。
なにより文明に属する権利や法に頼らず敵とみなした相手を私的に殺そうとしているわけで、物理的・社会的を問わず、他者を排除したい、抹殺したいと考える発想を野蛮と評さず他になんと呼べばいいのか私には分かりません。どれだけ綺麗事で上辺を飾ったとしても、本質は野蛮そのものです。
野蛮への信奉は独裁者や支配者を生み出すだけで、先祖返りもいいところです。私たちは原始人ではなく文明人なのですから、他者を意のままに変えられると考えるべきではありませんし、野蛮さはできる限り抑えた方が良いでしょう。
公正の追求
野蛮の信奉は少なくとも現代の人権意識にはそぐわないものです。
人権とは全ての人が持つものであり、その行使にあたっては綱引きできることが必要です。こちらが権利を主張する時、相手も権利を同様に主張できる状態、それぞれの権利の妥当性を調整して落とし所を探ることができる必要があります。要するに綱引きです。片一方の権利が一方的に押し切れるような状態は公正ではなく、人権が機能していないと言えます。
汗をかいて、労力を割いて、言葉を尽くして、必死に綱引きをすること。それは大変ですが、少なくとも公正です。
公正さを重視することは万人の万人に対する闘争を避けるために人類が今のところ見出した結論であり、少なくとも野蛮を競い合っていた時代よりも人々が幸福を追求しやすくなりました。
そういった人類の進歩を捨てて野蛮を信奉することは避けた方がいいのではないかと思います。
もちろん社会に対して何かしら問題提起することは構いません。それは権利であり抑圧されるべきではないのですから。
ただ、その権利は問題提起を野蛮に行っていい権利ではありません。野蛮に頼らず法に基づき粛々と行う必要があり、徒党を組んで威圧したり言葉の暴力を振るうことは間違えたやり方です。
結言
社会の発展に伴い人々は野蛮を遠ざけることに成功したように見えて、実の所は野蛮の表し方が変わっただけとも言えます。まあ人は動物ですので野蛮さから逃れるのは難しいでしょう。
ただ、たとえ野蛮を避けられないのだとしても、野蛮であってはならないとした規範だけは明確であった方が幸福の最大化になるのではないかと思います。
野蛮な暴力は自らの意を通すにあたっては手っ取り早いですが、そのようなゼロサムが社会を進歩させることはありません。だからこそ野蛮の信奉は否定されるべきです。野蛮ではなく弛み無い協業と泥臭い交渉が生み出すプラスサムの文明のみが発展を生み出します。
余談
アメリカでは被害者文化による野蛮な騒乱がもう何年も前から話題になっています。
そしてアメリカで起こったことは数年後に日本でも流行りますので、実はアメリカの社会学的な分析結果を知っておくと日本で起きる騒乱を理解しやすくなる、そう思っていたりします。