未来予測は常に不確定で、不確定だからこそ恐れを生むが、恐れはほどほどに。
仕事はいつだって消滅と誕生を繰り返す
最近、「AIがホワイトカラーの仕事を奪うからこれからはブルーカラーの仕事が重要になる」的な意見が増えつつあるように思います。
ただ、それはちょっと視野が狭いのではないでしょうか。現在は投資資金がAIに注がれているため優先的に進んでいるだけであり、ブルーカラーの仕事だって機械化・ロボット化によってどんどん失われていくことは必然です。
そもそもこの世の全ての仕事は常に淘汰圧へ晒されています。
そしてそれは長い目で見れば自然なことです。別にロボットやAIが登場する前から様々な仕事が時代に合わせて変化したり無くなったり新たに生まれたりしてきたわけで、いちいち煽る必要はありません。煽ることが商売に繋がる人の煽りに乗っかる必要はなく、自然現象のようなものだと捉えていればいいでしょう。
今ある職業だって昔の人からすれば全てを理解できないように、江戸時代の「鳥の糞買い」など今の私たちには理解できない仕事が昔はあったように、未来にも今の私たちが想像もつかないような新しい仕事が生まれることは必然です。
そういった不確定な未来に対して不安を持つことは仕方がないものの、そこまで極端に恐れる必要もないかと思います。
恐れとの付き合い
恐れる必要が無い、とまで極論は言いません。自分の仕事がいずれ無くなるかもしれないとした恐れは大抵の場合で事実ですし、そしていつ無くなるかは不明確です。
しかし、必要なのは恐れではなく恐れに基づく備えです。恐れそのものには意味が無く、仕事が無くなった時の備えにこそ価値があります。恐れていようが恐れていまいが仕事はいずれ無くなる以上、重要なのは事前に動き備えることであり、恐怖は触媒に過ぎないのですからいつまでも恐れを引き摺る意味はありません。
恐怖は極めて強い本能的な感情です。
よって恐怖によって物事を動かすことは効果的だと言えます。
しかしそれは初動だけです。恐れをいつまでもモチベーションの起爆剤として使うことは無理があります。人は慣れる生き物ですので、長期的なモチベーティブのために恐怖を高めていくと損益分岐点をいずれは超えますし、単純に精神的な不衛生となるでしょう。
さらに言えば、恐怖は不幸と連動する感情です。
よって恐怖を増やせば増やすほど頭の中が不幸でいっぱいになっていきます。
それはただの自虐行為であり、あまりお勧めできません。
結言
何事においても大切なのは行動です。
恐れていようがいまいがその時は来るのですから、恐れることに集中するのではなく備えることに注力しましょう。
そもそも人類の最大目標は余暇の拡大です。人々が長い歴史において生産性を向上させ続けている理由として、初期は生存の安定化でしたがその後は労働時間を減らして余暇を多く獲得するために行われています。よっていずれ人類の辿り着く先は仕事をしなくていい社会です。そう考えれば仕事が減っていくのは必然に他なりません。
ですので、そこまで恐れることはありません。